

椿原愛 (富山県産)のトーク
トーク情報椿原愛 (富山県産) 見城徹見城徹 ↑ 小田急相模原の駅から40分はミス記載です。30分はかからなかったような気がする。清水市吉川の小糸製作所静岡工場の社宅も相模原の建売住宅も今から考えると信じられないくらい粗末な家だった。両親は懸命に僕と妹を育ててくれた。今になって解る。自分たちの楽しみは一切封印していたのだ。父親はその捌け口を安酒に求めて夜はたいがい酔っ払っていた。当時は父親の酒だけは嫌だったが、何にも不満はなかった。高校までは清水市から離れて暮らすことなど考えていなかった。一生を清水市で終わると当然のように考えていた。その時から随分と遠くに来てしまった。あの頃の小さな幸福が懐かしい。あの頃の純粋な自分が愛おしい。何かを得れば、何かを失う。通俗な価値を得て、かけがえのない価値を失う。長く生きるとはそういうことだ。それでも生きる。失ったものを取り返すように本を作り、映画に挑む。仕事以外に僕には人生の手段がない。僕は「幸せな、良い人生だった」と言って死ねるだろうか?
椿原愛 (富山県産) 見城徹見城徹 一切を失ってもいい。たった一人になってもいい。その覚悟を持ちながら誠実に戦う。誠実に熱狂する。10年、20年の違いはあっても、どうせ皆んな死んで行くんだ。海は全てを呑み込んで太古の昔からそこにある。





