Holding Back the Years
– Simply Red –
あの年月に関しては心の奥にしまっている
長い間僕が抱え込んでいる不安について考えている
誰かが聞いてくれるなら
ようやく消え去った不安のことを聞いて欲しい
父親の期待に締め付けられ
母親の抱擁を渇望している
遅かれ早かれ僕を悩ませるんだ
僕は頑張っていくよ
僕は堪え続けるんだ
あの年月に関しては心の奥にしまっている
僕には既成事実の全てから逃れるためのチャンスはある
涙は押さえるよ
だってここでは何も実らないのだから
僕は涙を無駄にするだけだし
あの年月を全て無駄にしてしまう
何も良くなることはなかったし
可能性さえなかったんだ
僕は頑張っていくよ
僕は堪え続けるんだ
僕は頑張っていくよ
僕は堪え続けるんだ
しっかりとね
僕は涙を無駄にするだけだし
あの年月を全て無駄にしてしまう
何も良くなることはなかったし
可能性さえなかったんだ
僕は頑張っていくよ
僕は堪え続けるんだ
僕は頑張っていくよ
僕は堪え続けるんだ
僕にあるのは今日だけ
それが僕が言うべきことの全てなんだ
https://youtu.be/l7GnVHmTiI8?si=TzHaYFqd7-ucLkdD
たぶぅー
トーク情報- たぶぅー
たぶぅー 街へ出て用事を済ませて一応いつもの映画館🎬の上映スケジュール🗓️を確かめると先週はやっていなかった『クィア』が上映されていて時間も頃合いが良かったので観てきました。
ダニエル・クレイグの演技はもちろん『007』シリーズとは違って同性愛者でドラッグとアルコールの重度の中毒者である初老の男が若くダニエル・クレイグより体格の良い青年ドリュー・スターキーに恋をして側から見てみっともない程に夢中になっていく役所。
ダニエル・クレイグの熱演は見事だったと思う。
一目惚れした青年の気を引こうとおどけてみたり必死な様は痛々しい。
うまくいかないと息つく間もなくテキーラを何杯も煽って忙しなくタバコを吹かし酔いどれて酒場を渡り歩く。
クィアという言葉も知らなかったが、その孤独とか不安や切実さは胸に迫る迫真さだった。
第一章のメキシコのシーンはその湿度や熱気も伝わり音楽もなかなか良かったが時代背景はまったく無視な選曲が意外だった。
調べなくてもわかったのはプリンスの声だった。
アレ?って少し戸惑ったけど監督の選曲全体的に悪くなかったと思う。
掴みどころの無い若い青年にアピールしたり少し駆け引きめいた場面ではそこまでしなくてもと痛々しいけれど性差に関係なくどこか救いを求めているようにも見えた。
孤独な彷徨う魂が映画全体を通して伝わった。
ドラッグのもたら*****体験はないけど何故それを求めてしまうのか一部が後半のジャングルへの旅で少しだけわかったような気がした。
衣装もJWアンダーソンが担当したとかでセンス良かったな。
バロウズは難しいと何となく敬遠して来たけど読んでみようかな。 - たぶぅー
たぶぅー 雨が降ったり降らなくとも湿気で重怠い日々が続いてつい歩くことを忘れて行動範囲が狭くなりがちで鬱屈しがちな日々が続いてるけど、昨日は歯医者へ行った。
JRが不通なのに駅で待つ人も居たので1時間ほど気づかず待ちぼうけ。
さすがにこれは間に合わないとバス停まで移動して家を出て2時間弱でやっとバス移動出来、なんとか治療に間に合った。
帰りに映画でも観ようかと調べたら『国宝』がちょうど間に合うのでギリギリ劇場に滑り込んだ。
観終わって時計を見たら三時間もの長編だったことに気づいたけど長さを忘れるくらいに没頭して観終えれた。
若い時に観世栄夫の演目を軽井沢の美術館に観に行ったくらいでその深い意味すら理解出来なかったけれど、歌舞伎はもちろん観たことはなかった。
劇中の演目「曽根崎心中」くらいはなんとなくわかるくらいだった。
そんな知識も体験のない自分でも十二分にのめり込むくらいには伝わるものがあった。
後半は息を詰めていたし、オープニングの立ち回りは素晴らしかった。
もう一度観に行こうと思う。 たぶぅー 修治修治 自分が中高生の頃は、例えば読書でいえばドストエフスキーやトルストイを読むのは必須の〝たしなみ〟だったわけです。
これらを読まずして読書が好き...などと言うと『へぇ〜君読んでないの?』なんて言われたり、黙ってそっぽ向かれて小さく笑われたり😅
こういった一種、因習の様なものが良いか悪いかは別にして...本当に良いものは押しつけの様な形であっても経験させる。
要するに有名作家の古典の様な作品は名前が先行して、何となく小難しそう、といったイメージなのです。実際に自分もそうでした。
そしてコレを払拭させるには、まず読んでもらわなくては始まりません。
読めばその内容は素晴らしく、それが何十年前、100年前に書かれたものであろうと、その中身は全く色褪せておらず、現代の私達が考え・思い悩む事と何も変わらない事に気づきます。
映画『Баллада о солдате』原題は兵士のバラード。邦題は『誓いの休暇』はソ連時代に制作された映画で、映画好きな人でも知る人は少ない埋もれた名作です。
人に強く薦める事はありませんが、自分は特に好きな作品で、ロシア人気質をよく観てとれます。
そして上に書いたドストエフスキーの作品の様に、ソ連・ロシア映画が好きな人ならば必須のたしなみといえる映画なのです。
私はこの作品と『Москва Слезам Не Верит/モスクワは涙を信じない』『ЧАСТНАЯ ЖИЗНЬ/解任』の3作品が特に好きで、この作品達でロシア語のトレーニングを昔よくしました。
あぁ、こんな風に発音するのか...とか、こういうシチュエーションで言うフレーズなんだな...なんて。
ちなみにЧАСТНАЯ ЖИЗНЬは邦題は解任となっていますが、私生活という意味のロシア語です。モスクワは涙を信じない、はロシア語そのままです。
元々ロシアの格言ですからね。〝泣いていたって誰も助けてはくれない〟というロシア人が好きな格言です。
私もべガーズさんと同意見で、こういう作品を配信で観れないならば、どんどん日本の文化的教養の水準は、下がる一方だと思います。いや、もうびっくりする位に低くなっていますけれど。- たぶぅー
たぶぅー "スタンダードな作品を読め
ともあれ気に入った本を読むのがまずは一番なのですが、わたしの場合それは文学、つまりフィクションというジャンルがたいへん合っていた。自分のいる場所とはかけ離れた時空で物語が展開されることが、わたしにとっては重要だったのです。遠い時間と空間で巻き起こる物語に浸っていると、ちっぽけな自分の世界がぐんぐん広がっていく感覚を味わえました。
小説、文学では、どんなものを読むといいのか。スタンダードな作品、いわゆる古典がお勧めです。
夏目漱石やドストエフスキーなどの作品は、もう百年以上読み継がれているわけですが、そこにはやはりそれなりの理由がある。読者の心を刺激し、読者の精神を涵養するような大いなる力を宿しているのだと思います。
古典に馴染みのない人は、一読して「なんだ、こりゃ」と思うかもしれない。ドストエフスキーの、十九世紀ロシアを舞台にした物語を読んでみて、むしろ違和感を覚えないほうがおかしい。十九世紀のロシアで生きる人々と、現代日本で生きるわたしたちの間に大きな隔たりがあるのは当然です。
でも、だからといって投げ出さず、辛抱してみてください。価値観や社会情勢こそ違えども、時代や国家や人種を超えた、人間の根っこのようなものの息づかいがそこにはある。
理解できなくても、意味がわからなくても、とにかく最後まで読んでみる。きっとなにか感じるものがあるはずで、そのなにかを大切にしてほしい。
もし、つまらないと思ったとしても、それはそれであなたの発見です。つまらないと思えるのも立派な能力のひとつです。なぜつまらなかったのか、その理由を点検してみるのも有意義なことに違いありません。
巷間、読むべきとされているスタンダードな作品には、きっとそれなりのなにかが含まれています。仮にも名作と呼ばれるものならば、読んでなにも感じないということはないはずです。迷ったらスタンダードな作品を手に取り、その凄みを味わってみるといいでしょう。"
[修治さん]が以前に書きリトークしてくださった内容と同じことが書いてありました。
いま自分の部屋には300冊近くあるが読んだもの、読みかけで放り出しているもの、まったく手付かずのものがあり、半分は未読かも知れないがそれでも興味が湧いてまた新しい本を買っては先にそれを読んだりしていて、それはその時に興味を惹かれたものではあるからそれなりに楽しんではいる。
その内容ぜんぶを理解したとも思えないけど少なくともいくらかは楽しみながら。
然し、雑然として脈絡は薄かったりなかったり。
ドストエフスキーも『カラマーゾフの兄弟』の下巻がまだ読んでいなかった。
自分は読むスピードが遅い方なので(時々理解しづらくて何ページか遡って読み返すこともよくある)
つまり読む為の筋力みたいなモノが弱いんだろう。
咀嚼するのに必要な顎や歯の頑強さみたいな。
あらためて何となく迂回している[スタンダード]な本にも格闘してみたくなった次第ですが、あと二、三冊は手元にある田中慎弥も読んでからにしようと思います。
歩くに関して買った『歩くという哲学』と自分の同郷の人が書いた『歩く マジで人生が変わる習慣』はこれはこれでおもしろいものでした。
本を読むというのはなんせ時間がかかります。😅 - たぶぅー
たぶぅー 知らなかったー。
[一般財団法人 ルビ財団]
今の本ってルビあんまり振ってないんで、これは仕事の時にいろんな企業や団体のホームページとかでもそう言えば振ってなかったし、名刺やパンフレット類も難しくて何と読んでいいかわからなくて、本なんかわからない漢字は読み飛ばしたりいちいち携帯で読み方検索をしてたけれど、戦前の永井荷風の全集や南総里見八犬伝なんかも江戸時代から総ルビだったようです。
創立者の松本大さんが私財を投じて総ルビを出版界含めて広める活動をしているなんて知らなかったし、是非これ広まって欲しいな。
本読んでていちいち微妙にストレスなんですよね。
正しい読み方知りたいってのは、特に勉強出来たり立派な学歴があるわけじゃない自分なんかにしたらめちゃくちゃありがたい活動です。
何にでもルビ振る文化かあらゆる本に広がって欲しい。
https://rubizaidan.jp/ - たぶぅー
たぶぅー 元ネタは『有隣堂しか知らない世界』からでしたが、ルビ財団の松本大さんってめちゃくちゃ懐かしいお名前にも「おー!えっ?なんで⁈」となりました。
二十代前半、地元に帰るちょっと前に一年ちょいバイトしてたソロモン・ブラザーズのボンドルーム。
なぜだか只のアルバイトの僕に親切にしてくれたIさん、休みの度にプールに泳ぎに行ったりそのオリンピックプールの帰りに紀伊國屋で食材買って彼の下北沢のアパートに行きワインと手料理振る舞ってくれたり、赤坂や六本木、下北沢の飲み屋にいったり、映画を一緒に観に行ったりした。
僕より幾つか歳上の彼の家では高校時代に映画部だった話を聞かせてくれたり、青春時代の話を聞いたり年に2回バカンスで行くスペイン🇪🇸の話や撮ってきた写真やビデオを見せて貰いながら飲み明かしたり、彼の好きなオペラやクイーンのLPを何やら豪華なステレオセットで聴かせて貰ったりかなり親密な楽しい時間を過ごさせて頂いた、良き青春の思い出ですが、彼は東大の文学部?出身だった筈で、ある時今度優秀な後輩がNY本社のボンドルームから帰って来るんだと聞いた。
ディーリング・ルームで背の高いスマートなエリート然とした若き日の松本大さんにIさんに軽く紹介されて軽く挨拶を交わしたことがあるくらいでしたが、飛び抜けて優秀な松本大さんには近寄りがたいオーラがあり、自分が気軽に言葉を交わせるプロフェッショナルはIさんだけだったのでその後も話をする機会も時になく遠巻きにその存在を眺めていたそれだけなのですが、Iさんからそれでも偶に松本さんの話をこういう奴だよと研修中の笑い話含めてエピソードを聞いていたのでいま40年近くも昔のことなのに「お、おーっ!懐かしいな」と思い、尚且つ今はこんな活動もしていることが嬉しいと同時に両親が講談社勤務だったエピソードやら楽しい内容だった。
ルビはじゃんじゃん広めて欲しいな。
https://youtu.be/1f9yNwJlOa0?si=HXOEyPpvu_IhgOWj - たぶぅー
たぶぅー 梅雨が明けたのはいいけれど、毎日暑い日が続いてる。
風が吹いていればまだしも、湿度も高いので暑さが肌に纏わりつくようで最近は散歩も心が挫けてしまいままならず、なんとも気怠い日が続きます。
普段あまり寄ることのないスタバへチケットを貰っていたので寄ってみた。
駅ビルの中の店だからなのか結構なボリュームでビバップなのか激しめなアドリブのビッグバンドジャズが掛かっていて落ち着かなかった。
こんな機会でもなければ頼まないフラペチーノは冷たくシャリシャリしてて美味かったけど、さすがにうるさくて本をゆっくり読む気分にはなれなくてさっさと退店した。
別日で海岸にも行ってみたけど少し前には日陰なら涼しい風が吹いてたのに、その日の日陰のベンチにはやっぱり重怠く湿気を含んだ空気があるだけで長居を諦めた。
6月は後半にかけて『ミッション:インポシブル ファイナル・レコニング』と『フロントライン』『でっちあげ』と観た。
60超えてこの撮影を熟すトムクルーズには驚くしそれなりに楽しめたし、久しぶりにスクリーンで観た窪塚はいい役者ぶりだった。
綾野剛はいつもどうり達者だけど柴咲コウは目がバッキバキでホラー味がエグかったし、亀梨は下衆い感じは出てたけど別の役者でよかったんじゃないかな。個人的に好みじゃないのもあるけど必然性あったかな?
しかし後味が重すぎた。
『雑文集』は持ち歩いて適当に開いたところを読むにはちょうどいい。
Amazonの評でエルサレム賞のスピーチを読んでこの人はやっぱりノーベル賞を欲しがってる云々と書いてあったから、そのスピーチを読んでみたけど、そうだろうか?
逆に欲しかったら辞退しても不思議じゃない気がした。
これを受けたことがスピーチの内容以前に一般的には批判的で忌諱する人がいたっておかしくない。
だから敢えて『雑文集』という本の中にその内容を再掲することで払拭したかったんじゃないかと評者は言いたかったのかも知れないが、それならそもそもそんな賞には関わらないのが普通な気がした。
それを獲ろうが獲るまいが、そこに特別興味はないけど。
そんなことよりフラットに読みながらその人となりや、どんな考え、感じ方をしてる人なのかを文章から感じるだけでおもしろいもんじゃないかと思うわけです。
自分がそれを楽しめれば一番いいし、詰まらなくても、そういうもんかとわかるだけで充分な気がする。
そういう意味ではいろんな作風の人を雑多にとりあえず読んでみるのはおもしろいと思います。
目移りし過ぎて追いつかないけど。 - たぶぅー
たぶぅー 2日前、土曜日早朝に携帯の画面がブラックアウト。
取り敢えず携帯屋で一番安い中華携帯を買いアイフォンからのデータ移行が何も出来なくてラインも電話連絡先もすべて無くなり復旧の道が断たれ大変困った。
知り合い友人すべてなんとか調べる方法を考えなくちゃならなかった。
取り敢えず755だけ復旧出来た。
なんたるショック。
もちろん最新のアイフォンを一括で買えばある程度連絡先やらラインデータの移行もすべてではないけれどある程度復旧出来そうですがやっぱり16万円くらいは掛かる。
限られた中で其処にそれだけ払うのにめちゃくちゃ尻込みして取り敢えず最低限の安い携帯にしましたがアンドロイド且つ中華製なのが使いづらくなによりデータが…
なんとかアイフォンに変更しソフトバンク→docomoにキャリアも戻そうかと思っています。
ちょっとだけもう携帯もあまり見ずにあるだけのほんの少しの身内だけで携帯に割く時間を一緒に減らして読書や映画みる時間に全振りしようかとも考えたけど、友人や大事な人の連絡先までわからないのは流石にマズイと3 # 日経ち考え直した次第。
なんともジタバタ悩ましい数日でしたが、映画は『F1』を観ました。
音楽も最新のものからツェッペリンなど多彩でなかなか良かった。
ストーリーも実在のモデルになったドライバーがいたようでもちろん脚色はあるにせよ。
そのキャラクターの芯の部分は変えていないらしく、それが痛快だったし、ジェリー・ブラッカーマイヤーらしい派手で魅せる内容にも満足。
痛快な気分を味わえた。
それと『野獣死すべし』は一気読み。
ダークヒーローたる伊達邦彦の若かりし日々、青春篇より壮絶なる復習編で死んだかと思えば渡米篇にて締め括られ、続きを読みたくなった。
随分久しぶりに読んだと思う。
誰をも信じずすべての人を結局利用し最後には死んでもらう、究極文字通りの冷酷なニヒリストでストイシズムの塊のような伊達邦彦にはワクワクすると同時にこの人さへなのかという無慈悲さとバイタリズム凄い人物を創造したものです。
あとの残り四冊は並行読み。
なんだかんだバタバタ振り回されてるけど本読みと散歩、温泉は気分転換の拠り所なわけで、完全に壊れる前に機械を買い替えなかった迂闊さに凹んでもいた週末でした。
今夜755にうろ覚えのやり方でログイン出来てホッとしたので近況報告でした。