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シンジ

初代「レクサスLS400」(トヨタ セルシオ) 日本車の"ヴィンテージイヤー"と言われる1989年(他に「スカイラインGT-R」「NSX」「ユーノス·ロードスター」がデビューした)、日産のインフィニティQ45と共にメルセデスやBMWに真っ向勝負を挑んだ、トヨタ渾身のプレミアムサルーンだった。 プラットフォーム、エンジン、トランスミッション、サスペンション…全てのネガの要素を元から断つ"源流主義"を掲げ開発された。 特に静粛性と振動には最大限の注意が注がれ、エンジンを初めとする部品の精度誤差を従来の10分1以下まで厳しくし、エンジンからトランスミッション、プロペラシャフト、リアアクスルまでを一直線にレイアウトする等の工夫が成された。 結果、デビュー当時レクサスLSの室内の静かさと振動の無さは、「ワイパーの作動音が気になるほど」とユーザーには驚きを持って歓迎され、ライバルメーカーは脅威を感じた。 メルセデスやBMW等のヨーロッパメーカーがこぞってレクサスを大量購入し分解と研究に充てたというのは有名な話。 特にメルセデスは表向き「レクサス恐るるに足らず」という態度だったが、大きなショックを受けたのは間違いない。 「最善か、無か」の理念を元に理想の車造りをしてきたメルセデスが、コストを考え現代の様なマーケティングをする様になったのは、「レクサスLS400」の影響に他ならない。 初代「レクサスLS400」は、日本車として世界に最も大きな影響を与えた偉大なモデルだったと思う。

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シンジのトーク
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  • シンジ
    シンジシンジ
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    スバルが初代インプレッサで参戦していたWRC(世界ラリー選手権)のホモロゲーションモデルとして限定リリースした「インプレッサB22 sti」。
    既存マシンの4ドアではなく2ドアボディ(初代インプレッサには“リトナ”と呼ばれた2ドアモデルが存在した)に、ブリスターフェンダーや巨大なリアスポイラーを与え、エンジンは2.2リッターへとボアアップされた。定番のWRブルーのボディカラーとゴールドのBBS鍛造ホイールの組み合わせが痺れる程カッコよかった。
    この個体はインプレッサで自身初のチャンピオンを獲得、と同時にスバルに初のマニュファクチャラータイトルをもたらしたレジェンドドライバー、故コリン・マクレーが所有していたものでオークションで日本円で約9200万円で落札されたらしい。
    以前、近所に青空駐車されてたこいつがあったけれど、あれはどうしたんだろう?
    古い車が軒並み値上がりしているこのご時世、今頃持っていればとんでもない値段になってただろうなぁ。

  • シンジ
    シンジ

    あれ?B22なんてなってる…お恥ずかしい。

    「インプレッサ22B sti」ですよね。

    これはアカンやつやん_(┐「ε:)_

  • シンジ
    橋場日月橋場日月

    DENONのサウンドバーを購入。この音は好みだ、クラシック放送が映える。
    デンオン良いね、50年前に我が家にあった「てんとう虫」以来のデンオン。意地でもデノンじゃなくてデ・ン・オ・ン(笑)。
    プロモーションは含みません。

  • シンジ
    シンジ

    中山美穂さんの妹、中山忍さんが大学生時代に地元の男の子と付き合っていて(当時の元カノが知ってた男の子)、冬になると南会津の台鞍スキー場にスキーをしに来ていた。中山美穂さんも一緒に来る時もあったみたいで、お姉ちゃんて呼んでるって聞いて「お姉ちゃんが中山美穂かよ~」なんて話してたな。

    もう30年以上前の話だ。急に思い出した…懐かしいな。

    ご冥福をお祈りします。

  • シンジ
    シンジ

    雪、まるっと2日降ってるけどまだやまない。
    もうホワイトクリスマスもいいとこだゎ。

    皆さん、メリークリスマス。

    こちらは、雪にうんざりしてマス_(┐「ε:)_