ナナ散歩だよのトーク
トーク情報- ナナ散歩だよ
ナナ散歩だよ
早起きのナナは
ラジオ体操の始まる時間に
枕元で鼻を鳴らし出す
寝返りをする度に
鳴く声が大きくなって
いったりきたり
床板まで鳴らし始める…
雨模様の朝は
スプリーンな気分だけど
手袋のいらない
優しい空気だから良しとする
ナナは
黄色いカッパに着替えさせ
広めの傘に一緒に隠れて
最短コースを歩き抜ける
頭と尻尾をたっぷり濡らして
ナナ散歩を終える
庭先では
帰りを待っていた
シジュウカラたちが
ちゅぴちゅぴ
地鳴きし合って
エサ場の充実の催促だ
雨宿りしながら
メジロも待っている…
耳鳴りのする
折れ曲がった夢を見たりして
目覚めが重い朝でも
さまざまな日常生活の灯が
嬉々として今日も
グラデーションを
繰り広げる
静かに寄り添って
ながれてゆく
忘却の時間… - ナナ散歩だよ
ナナ散歩だよ
この頃…
遠い昔の
自分のような意識が
記憶にない状況の中で
踠いている夢をみる
過去に
目を瞑り口を閉ざし
平らかな日常生活に
潜り込んでいる今
果たして、
回転木馬の中心軸を
探し求めながら
言葉の奥に隠れている
人に出会えるだろうか…
……………
「……他人をじかに知ることこそ、実は、ほんとうに自分を知ることにほかならぬからである。人間は自分を知るのに、他人という鏡を持っているだけだ。自己反省とか自己分析とかいう浪漫派文学の産んだ精神傾向は、感傷と虚栄との惑わしに充ちた、架空な未熟な業にすぎない。」
(小林秀雄)
「ぼくは、自己否定というのを、頭がはっきりしていてうまく言える人が言う場合には、結局、それは自己主張だと思うんだな。」
(武田泰淳)
「……あえて自己否定するのは、それゆえに、個体の存否を超える上位価値概念がその特定の存在の中に想定されている場合に限られる。否定はそれに向けての再生の手続きなのである。」
(高橋和巳)
人間の数だけ思想があるという
落ち着くところは…
「君は君自身でい給え、と。一流の思想家のぎりぎりの思想というものは、それ以外の忠告を絶対にしてはいない。」
(小林秀雄)
朧気に
最期りが見え隠れする朝に
ぼんやりと思うママに
ナナ散歩だよ…
……………