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中本祐貴

なんか。今までずっとここではROM専だったけど書きたくなってきたから。書いてこうと思う。文芸のこと、音楽のこと、芸術のこと、哲学、思想のこと。ともかく美意識をここに刻みたくなってきた。

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中本祐貴のトーク
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  • 中本祐貴
    見城徹見城徹

    ⬆︎ [冷たい熱帯魚]も痺れたよ。園子温の傑作はこの2本。後は[恋の罪]かなあ。それ以降は精彩を欠いた。

  • 中本祐貴
    見城徹見城徹

    自分が相手の気持ちを考えるほど相手はこちらのことを考えていない。それを当たり前のことだと割り切らない限り、仕事や人間関係は辛くなる。
    相手に期待しないこと。しかし、相手には出来るだけのことをすること。
    時たま苦しく、切なくなるがそれを飲み込まなけば日々は成立しない。自分の未熟さを痛感する。同時に、企業を作り、存続させるのは孤独だなあ、とも痛感する。

    自分で汗をかきなさい。
    手柄は人に渡しなさい。
    そして、それを忘れなさい。
    ーー前半2行は竹下元首相。後半1行は氏家日本テレビ元会長

    タフでなければ生きていけない。
    優しくなければ生きていく資格がない。
    ーーレイモンド・チャンドラー

    僕はまだまだ未熟でおセンチで甘ちゃんだ。それでもここまでやって来た。辛く苦しい道を自ら選んで来た。損得計算はなかった。鮮やかな結果を出して、会社と社員を守りたかっただけだ。社員にはいい人生になって欲しい。

    人を怒るのは己の未熟。
    人を恨むのは己の未熟。
    人が理解してくれないのも己の未熟。
    全ては天が見ている。

    自分に言い聞かせる。

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  • 中本祐貴
    中本祐貴

    なんか。今までずっとここではROM専だったけど書きたくなってきたから。書いてこうと思う。文芸のこと、音楽のこと、芸術のこと、哲学、思想のこと。ともかく美意識をここに刻みたくなってきた。

  • 中本祐貴
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    柄谷行人著「力と交換様式」を読んだ。

    本の内容を、自分の言葉でパラフレーズすると、「理想を高く持って、贈与ベースのコミュニティーを大切にしながら生きろ!しかし、自分でそれを実現化できると思うな。自分の力だけで何とかなると思うな!!求め続ければいずれ、それはやってくるかもしれない。希望は、薄いかもしれない。しかし大きな不幸や災いは確実にやってきて、理想ははその後やって来る」ということになる。
    「理想を高く持て」は、「諦めるな!」に近い。トランピストがはびころうと、ウクライナがロシアに攻められようと、テロリストが人を襲おうと、人と人、コミュニティーとコミュニティー、人とコミュニティーの間に、希望が生じる可能性があるのではないかと、柄谷は言っているのだと理解した。
    「贈与ベースのコミュニティー」とは、「国家だけを頼みにするような中間コミュニティーに属さない生き方は辞めろ」ということ、そしてそれは同時に「資本の論理から外れた関係を大切にしろ」ということだ。言い換えれば、「金の切れ目が縁の切れ目、金がなくなれば頼れるのは公的機関だけなんて生き方は、今すぐ改めろ!」ということだ。
    「自分の力だけで何とかなると思うな…」は、主知的な態度、あるいは理性主義の限界を説いている。
    しかし、同時に諦めずにチャレンジし続けていくべきだと。
    しかし、大きな災難や苦難を経なければ、理想なんて手に入らない。
    そういう主張なんだと、自分は思った。

  • 中本祐貴
    中本祐貴
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    「怪物だーれだ?」

    いつも是枝作品だとも思った。

    「クソみたいな〇〇が実はクソじゃない」「まともだと思っていた〇〇が実はクソ」「子どもが可哀想と思ったら、実はその世界は自由で解放的で最高だった」みたいなお馴染みのモチーフにまみれてましたし。

    ただ、今回は、結末がより、曖昧な感じ。果てして、バッドエンドなのか、ハッピーエンドなのか?明確に描かずにいる。ここが実は、この作品理解の肝なんだと思ったので少し語ります。

    ラストに至るまでに、そのタイトルのおかげで観客は、どうしても「怪物」探しをしてしまう羽目になります。だって「怪物」ってタイトルなんですから!!ともかく、これが怪物かと思ったら、実はあれが怪物かとなり、そうだと思ったら、実はあちらが怪物なのかもと、それはそれはアガサ・クリスティ並の手腕で「真犯人」ならぬ「真怪物」探しに翻弄されるのです。

    おそらくこれこそが是枝監督の狙いで、観客を翻弄し、観客の既成概念を、価値観を破壊し、揺さぶり、変性意識状態に持って行くことにあるのだと思いました。そう、実に映画的な手法な訳です。

    そして、このようなやり方は、結末の事実を曖昧にしか描かなかったこととも関係すると思いました。

    何にでも白黒つければ良いというものでない。グレーゾーンで曖昧なまま保留しておくこと、あるいは、規制のカテゴリーから抜け落ちるものをそのままに受け入れることの価値、大切さ、きっとこれが描きたかったテーマなんだと思うのです。

    つまり、最後の二人の子どもの開放感/解放感と自由を、ただ良きものとして、既成概念とか常識とか、コンプラとか抜きで受け入れさせるためのものとして、「怪物」探しで振り回す必要があり、曖昧な結末である必要があるのだと思いました。

    何が「正しい」みたいな価値観では、現代社会は乗り切れません。今、正しいと皆が同意したものが、明日には正しくないことも多いですし、皆が正しいとしたものが、大いなる悪に加担することも多いからです。

    したがって、そのような、「正しさの曖昧な世の中」への対処法の一つとして、「曖昧さを受け入れる」「結論の先延ばしと保留」という手段が、現実の社会でもあるいは思想や哲学の世界でも注目されているように思います。

    是枝監督の今回の作品も、その流れにあるのだと思います。

    また、蛇足になりますが

    「曖昧な解放や自由」に「明確な正義」など持ち出そうとすると「怪物」が現れるんじゃないか。

    そんなことも考えた次第です。

  • 中本祐貴
    中本祐貴
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    千葉県の木更津、君津、富津でウマいものといえば、色々あるのだけれど、弁当部門では、としまや弁当のとんかつ弁当を推したい。

    通称、カツ弁だ。

    テレビやとしまや弁当自体もチャーシュー弁当(通称チャー弁)を推していて、千葉のソウルフードと位置づけているのだが、ガッツリ地元で育った自分たちにとっては、チャー弁なんてものは子供の頃にもなかったし、なんか最近作られた伝統って感じでフェイク感満載に感じてしまう。

    自分たちが子供の頃は、トリ弁かカツ弁、あとイカ弁くらいが人気だった気がする。そして、自分はトリ弁が好きだった。

    しかしながら、今、トリ弁を食べるとあまり美味しくない。なぜだか、あまり美味しく感じられなくなってしまった。

    今、一押しなのはカツ弁、もうこれはうますぎる。マックで言うなら、テリヤキバーガー的な存在。ともかく旨い。有無を言わさず美味い。サムライマックほどのパンチもなければ、月見バーガーやグラコロのような派手さもない。

    しかし、たまに食べたくなる内房のソウルフード、それがとしまや弁当のカツ弁なのだ。

  • 中本祐貴
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    プリンスのダイヤモンズ&パールズのスーデラが来ました。まず、良かったのは、CDが収納されているケースが、ブックレットとは別になったこと。そして、1枚1枚のCDも裸ではなく、それぞれ入れ物がついていること。解説を読むとまず最初にパブリック・エナミーのチャックDが出てくる。トニーMのことを褒めててびっくりした!!