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    乃木坂46山下美月、卒業を発表 5月に卒コン開催

    【モデルプレス=2024/02/17】乃木坂46の山下美月が2月17日、自身のブログを通じてグループを卒業することを発表した。◆山下美月、乃木坂46卒業を発表山下は「約7年半、本当にお世話になりました どんなに多くの言葉を並べてもきっとこの

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    卒業を運営に伝えるのは発表の1年前だと言われています。当時の山下美月が「人は夢を二度見る」の歌詞を読んで号泣したと言ってたのは、きっとこの日を想像していたのかもしれない。そう思って聴き返すとほんと名曲です。

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    #1592『山下美月論 Day by Day』

    どんなスピードで追いかけたら
また君と巡り逢えるだろう....
    今、彼女の日々を振り返る。

    山下美月。1999年7月26日生まれ(24歳)東京都出身。2016年9月4日「乃木坂46第3期生オーディション」に合格。2024年5月12日の東京ドーム公演を以て乃木坂46を卒業。

    小学3年の頃からアイドルに興味を持ち始めた。その夢への一歩とレッスンを始めたのは中学1年生の頃。だが思っていた以上に過酷なレッスン。自分は向いてないと気付き13歳の彼女は女優系の事務所に所属した。演技レッスンと並行し何百回もオーディションを受けたが結果は出せないまま、気が付けば中学3年になろうとしていた。夢は諦めようと事務所を辞め高校進学に備えた。だが2年間の芸能活動分の学業を1年で取り戻す事は容易では無く高校受験に失敗した。何もかも中途半端な自分自身が嫌いだった。かつ芸能活動をしていた事が学校で噂となり人間関係は破綻した。気が付けば完全に孤立していた。ある日の放課後目にした教室の黒板には「悪意の寄せ書き」その光景は絶望だった....
    第二希望の高校へと進んだ彼女は無個性を演じた。目立ってまた「生意気」と思われないよう集団の中の一人であろうとした。もう絶望は見たくないから。そんな彼女が唯一くつろげるのは大好きなアイドルのYouTubeを見てる時だった。そんな普通の学生生活。でも時に「私大丈夫かな?」と不安に駆られた。ふと鏡に映る姿を見た時「今楽しいのかな?」と思うようになった。自分の色を消して生きている本当の心は泣いていた。もしずっと憧れてたアイドルになれる事が出来たら人生変えられるかもしれない。二度目の夢を叶えるべく高校2年の彼女が最後のチャンスと応募したのが「乃木坂46第3期生オーディション」だった。決め手はその数ヶ月前に開催された「オーディション希望者セミナー」での白石麻衣の「乃木坂は新しい自分に出会える場所です」という言葉だった。

    私は、ここで生まれ変わるんだ....

    そんな覚悟で挑んだ乃木坂46第3期生オーディションは総数4万8,986人の中から12名が合格。17歳の彼女は乃木坂46になった。翌朝の芸能ニュースでも話題となったが同時に不安になったのが学校での評判。だが実際の教室での反応はごく普通で寧ろ乃木坂の話題が上がる事はなかった。後日乃木坂の活動の為に転校する事になった。その時初めてクラスメイトから沢山のエールを貰った。そうあの日の無反応は彼女を気遣ってのものだった。みんな分かっていた、みんな応援していた、アイドル山下美月を。

    乃木坂46の活動が始まった。長年描いて来た夢はここにあった。だが「本当の私は何色なのか?」と模索する日々が続く。どうすれば愛されるアイドルになれるのか、どうすれば理想のアイドルになれるのか。同期の3期生たちと切磋琢磨しながら試行錯誤の日々が続いた。体調を崩し3ヶ月の間乃木坂の活動を休業した事もあった。正直辞めようかとも考えた。そんな時、自分を心配してくれる多くのファンの手紙が届いた時、涙が溢れた。
    もっと誰かに頼ってもいいんじゃないか
    もっと弱音を吐いてもいいんじゃないか
    どんな自分も受け入れて生きて行こうと
    私は支えられて生きてる、そう思えた。

    乃木坂46では表題曲センターを3度経験した。アイドルの活動と並行して演技の仕事も増えて行った。特に2023年は体力的に極限のスケジュールに追われる日々だったが、アイドルと役者業の両方を熟す日々は精神的にはバランスを保てた。アイドルは自分の色を見てもらう一方、役者はその色を消して役の色に染まる仕事。そんな真逆の日々は彼女に生きがいをもたらした。毎日映画を観る様になった。合間で演技のワークショップにも通った。ドラマの撮影が終わっても居残り他の共演者の立ち振舞いを学んだ。もっと多くの作品に呼ばれる役者になりたい、次の夢を描いた。
    2020年辺りから卒業を考える様になった。でもこれからは私達の世代が中心になり頑張って行かないといけない。だからそれは直ぐにではなくタイミングは事務所と相談し決めようと思った。2023年に2冊目の写真集の話が来た時は断ろうと思ったが翌年の卒業に向け取り組む事にした。今年に入り乃木坂の活動がより一層愛おしくなった。3期生がグループの先頭となり沢山の後輩も出来た。悔いはないと心から思える様になった。色んな事があったけど乃木坂46の自分は大好きだった。そして心から思える、こんな私を好きになってくれた全てのファンの皆さんありがとう。

    山下美月の7年8ヵ月と9日。
    彼女が歩んだアイドル人生は、
    どれだけの時が流れても
    永遠に過去形にならないヒロイン。

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    #1595「久保史緒里論 Last Letter」

    悲しい出来事があると一人、夜の街をただひたすらに歩いた。孤独の闇を抱えて。

    久保史緒里。乃木坂46三期生。
    2001年7月14日生まれ。宮城県出身。
    東北楽天ゴールデンイーグルスの大ファン。
    2016年9月4日、乃木坂46へ加入。
    20th.sg「シンクロニシティ」にて初選抜。32nd.sg「人は夢を二度見る」では同期の山下美月と共にWセンターを務める。
    2022年2月16日より「乃木坂46のオールナイトニッポン」パーソナリティを担当。
    2025年11月27日、乃木坂46を卒業する。

    中学3年生の15歳。憧れだった乃木坂46に加入の為に彼女は上京した。地元への未練を断ち切る為、友人の連絡先は全て消した。覚悟は出来ていた筈だった。だが加入直後より多忙なスケジュールの毎日。当時の乃木坂46は人気絶頂を迎え3期生は即戦力を求められていた。彼女の不安な日々は暗いトンネルを一人進んでる様だった。迷惑になるかもと同期メンバーにさえ相談出来ず一人抱え込んだ。そして加入から2年後の2018年には4ヶ月間の休養を余儀なくされた。休養中、同期が活躍する場面をよく目にし「乃木坂じゃない私は意味があるのだろうか?」毎日そう考えるようになった。溢れる涙と共に。復帰後、映画の初主演や写真集の発売等、乃木坂46の久保史緒里としてその活躍の場を拡げた。

    時は流れ2023年8月28日。全国ツアー最終日、明治神宮野球場。加入から7年が過ぎ3期生は一番先輩となっていた。多くの仕事にも恵まれたが思えば苦しい事の方が多かった。だけど確かに今ここで私はこうして生きている。勘違いしたり道に何度も迷ってきたけど。だから強く言える、乃木坂46が大好きだって。この想いのまま駆け抜けたい....その日の夜、卒業を決めた。けれど決断はしたがすぐに卒業したくなかったのは理由がある。それが自分にとってもう一つの大切な場所「乃木坂46のオールナイトニッポン」。

    2022年2月よりオールナイトニッポンの2代目パーソナリティーに就任した。卒業を決意した神宮の時点でまだ1年半しかやれてない。流石に伝統ある番組を1年半で辞めるのは無責任だと思った。彼女の卒業が今日まで延びたのは紛れもなくオールナイトニッポンのお陰だった。
    アイドルの活動をしていたら心が保てなくなる時がある。深夜に帰宅後、朝まで台本を読みそのまま現場へ。自分的に消化出来ないまま芝居に取り掛かる事もあった。何度も心を削られ後悔も重ねて来た。それ程にグループ活動と個人仕事の両立は困難の連続だった。それが水曜日に重なると憂鬱になり「こんな状態でラジオ出来るのかな?」喋れる体力もない。でもニッポン放送へ来ると不思議と元気になった。嫌だった事とか抱えた苦しい事も忘れられた。家族のようなスタッフさんそしてリスナーが何より暖かかった。彼女にとってオールナイトニッポンは等身大で居られた実家のような場所だった。そんな3年9ヶ月の水曜深夜はもう一つの青春だった。

    本当は乃木坂46を卒業した後、芸能界は引退して地元の仙台に戻り楽天の広報に就職しようと考えていた。けれどこの2年間の様々な出会いを通して「乃木坂ではない私でも必要としてくれる人達がいるかも」と思える様になった。朝ドラ、大河ドラマ、映画に舞台。やればやる程に演技の魅力にのめり込んでいる自分が居た。憧れだった俳優の先輩方ともラジオを通して仲良くなれた。そのご縁を簡単に手放してはいけない。久保史緒里としてもう少し東京で頑張ってみようと決意が生まれた。

    そして今年の夏休み、屋久島に1人旅をした時に登山をした。以前、新曲のヒット祈願で富士登山をした際は「乃木坂の為」と思えたら全然頑張れた。それと比べると難しい登山ではなかったが、全部1人で準備して10時間の登山を終えた時「私は自分の為にも頑張れるんだ」と初めて思えた。乃木坂がないと頑張れない自分だったから。大好きだった乃木坂で過ごした9年の間に綴ったでも渡せなかった150通の手紙があった。訪れたこの屋久島でその手紙たちを燃やす事にした。昨日と違う新しい景色へ踏み出すため。夢の続きを信じて。そうして風のような9年間が過ぎ去った。

    近づいてきた別れの時間。
    期待と不安が混ざり合っても
    一つの歩幅大切にして来た
    あなたは乃木坂46の希望でした。
    乃木坂じゃないあなたも価値あるもの。
    もしも君がしあわせならそれが一番嬉しい
    どんな暗い世界でも立ち止まることはない
    何を言いたいかって言うと
    君は一人じゃない、ずっと見守ってる。
    さあ、未来が手を叩く方へ。

    頑張れ。