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ユーラックのトーク
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  • ユーラック
    ユーラック

    【見城さんとの出会い】

    本当に偶然だった。
    藤田さんの本が気になり手に取ってみた
    『憂鬱でなければ仕事じゃない』
    共著、見城徹。あぁ、この人が幻冬舎の社長か。そのくらいの軽い感想だった。帯の藤田さんとのツーショット。組長のような見た目でこちらを睨んでくる。


    少し読み進めると、急に頭を何か重いもので叩かれたような鈍痛が走る。
    『楽なことは意味がない。』
    『憂鬱なことこそ価値がある。』

    なんでこんなに厳しい?

    これまでぬるま湯に浸かってきた自分に痛いほど突き刺してくる言葉の数々。切れ味の鋭いナイフを突き付けられたかのようだ。

    苦しい。的を得てるから言葉が重くのしかかる。正論だからこそ逃れられない。こんなにも痛みを伴う本に出会ったのは初めてだった。

    苦しさの余り、一旦本を閉じた。
    こんな説教をされに、本を手に取ったわけじゃない。藤田さんの経営論を聞いて気持ちよくなりたかっただけなのに。

    しかし、気づけば、そんな気持ちとは裏腹に、貪るようにページをめくった。

    『好きなことをやればいい、信じれば夢は叶う』世でよく聞く耳障りのいい文言を真正面から否定し、仕事も人生も七転八倒しかないという徹底した現実論に、僕は虜になっていた。

  • ユーラック
    ユーラック

    見城さんリトーク、拍手していただきありがとうございます。初めて『憂鬱でなければ、仕事じゃない』を読んだあの時の衝撃は今でも、鮮明に頭にこびりついています。池袋のジュンク堂にある椅子で読んだのですが、しばらくは立ち上がることが出来ませんでした。あの時の感覚は、今でも忘れられません。

  • ユーラック
    見城徹見城徹

    自意識と自己嫌悪。それは一つのセットです。コインの裏表のようなものです。自意識や自己承認欲求を恥じながらも自分を表現し、発信すること。それが755の自分のトークでなら可能です。755の凄く真っ当な使い方だと思います。その上、自分が興味のある人にはやじコメをすることも出来ます。こんなSNSは他にありません。つまり、755は人間の本質的な精神の営みに刺さっているのです。755の良さをもっと多くの人々に知ってもらい、使って欲しい。自己検証能力も飛躍的に伸びるはずです。情報やハウツウを学ぶのではなく、人生そのものを刺激するSNS。それが755なのです。

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  • ユーラック
    ユーラック

    コーチング。この言葉のふわふわ感に対して、『どこか詐欺師めく』と冒頭からやや怪訝な見城さん。

    最初の3人の説明は、抽象的というか概念的な言葉を操つるも、薄っぺらい話のような気がして、それで本当に結果を出せるのか?と疑問が生じました。
    そこのメンタルはやるかやらないかの本人の覚悟の部分が大きいため、他人が介在するということに対して、現実的な実効性に疑問がありました。

    その矛盾や疑問部分を鋭く突くキレッキレの見城さん。

    どこか胡散臭いイメージが拭えない。と。

    ですが、見城さんに求められ、御三方が経歴の話を始めました。
    ここから、この会の流れが変わったような気がします。

    御三方とも、過去にそれぞれの持ち場でガムシャラに働き結果を出して、今のコーチングに従事するまでの道のりを語られ、その純粋なストーリーに胸を打たれました。

    また、皆さんの言葉や的確に話す話術にも驚きました。

    御三方のこれまでの生き方、成功体験を伝えて、
    同じ想いを持つ人の背中を押そうとするパッションのある方々なんだと印象が変化しました。

    この本こそ自分の変え方という真っ直ぐなタイトルが相応しいという結論がとても腑に落ち、彼らの考えやこの本の経緯について理解できました。
    締まりある気持ちいいの会でした。ありがとうございました。

  • ユーラック
    見城徹見城徹

    僕の嫌いな[夢]について初めて少し語ります。
    18歳と27歳の時、中学時代からの夢が実現しました。しかし、若さ故の意気がりか、ようやく手に入れたその夢を自分から手放しました。そこに安住したくなかったのです。今でも時々、後悔します。そして、34歳の時、熱狂の末に手に入れた夢は年を追うごとに色褪せました。つまり、それらは実現してみると自分の生きるモチベーションにはなり得なかっだのです。勝手なものです。
    今、僕は幾つかの夢を実現したと思っています。しかし、それらは実現した後、そうか、これが自分の夢だったんだと気付いたのです。僕には今、果たし得ていない夢が3つほどあります。一番大きなものは僕が生きている内はに実現しないでしょう。現実は苛酷で、一つを得るためには一つを失わなければなりません。残りの年月を考えると
    切なくなりますが、どれを優先するか?は覚悟を決めた選択の問題になります。人生は長いようで短い。73歳になってそのことが胸に沁みます。
    今日の絶望を明日の苛酷に。夢は実現した後にそれが本当に自分の夢だったのか吟味して語るものです。結論はきっと人生の最後の日にしか出ないものかも知れません。

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