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「誰かのためにプロジェクト」応援!(仮)
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「48グループメンバー、被災地へ」 SKE48 松村香織さん編 ジオラマが誕生した時から、今現在まで被災地である岩手県山田町に訪れ、ずっと町の全てを応援しているかおたん。 かおたんはどうして、被災地に来たのか、何があったのかを振り返ろう。 元々、かおたんは被災地訪問に呼ばれず、なかなか光の当たる場所にはいなかった。2011年の震災後にかおたんが書いたブログに被災地支援に対しての想いが記されている。 ジオラマが誕生した頃には様々な被災したこども達が居た、その中で悲惨な境遇の子が1人いて、ジオラマを作った最初のこども達はその子をみんなで守り抜こうとした 重いPTSDであり、オレが知った時には深刻な状態だった。その子をジオラマの子達が連れてきて、48グループから応援したいメンバーさんを選ぼう!みたいになり、その子は何の意識もなく、しょうがない感じで1人のメンバーさんの写真を指さした。 それが松村香織さんだった SKEに詳しい子がかおたんこと松村さんの事を色々教えた、なかなか報われないメンバーさんだという事、正直で泣き虫だという事、そしてそろそろ歳がヤバい(当時はマジでかおたんの年齢ネタはこども達に禁止され、永遠の17歳が合言葉になるほど)こと、それはほめてないっしょ?という事までその子に教えた その子は自分とかおたんの境遇が似ていると言って本当にかおたん推しになり、心から応援をした。 PTSDはヒドイ状況だった、当時はカウンセラーや医者の数も足りずに後手後手に回って、その子は発作に苦しみ、海辺に住みながら海が恐怖で見る事ができなかった そんな子がかおたんを応援している事を、オレはワラにもすがる気持ちでSNSに書いた、それに全力で応えてくれたのがかおたんファンの皆さんだった。 かおたんファンの皆さんは、まだ不便だった被災地に何度も足を運んで復興支援までしてくれた、そしてその足で握手会に行き、かおたんに体験してきた事や見てきた事を伝えた。 かおたんを応援していたその子は、プライバシーを守るために「かおたんちゃん」と呼ばれみんなから愛され守られた。 ファンの人達は支配人さんにも訴えた、かおたんが行けば、救われる子がいる事を何度も運営さんに直訴した。 かおたんはPTSDに苦しみながら、自分を応援する子が被災地にいる事を知り 「負けないで。辛い時はわたしが側にいるとどうか信じて」 と、メッセージを送ってくれた。そしてかおたんファンの皆さんはずっと被災地である山田町に通って、観光支援をし続けた かおたんに励まされた子も、カウンセラーの専門家が驚くほど回復の兆しを見せた。 それが約一年、続けられた。かおたんもかおたんファンの人達も、かおたんちゃんと呼ばれ愛されたその子も、頑張った ある時、被災地訪問があった 現地に来た誰かの為にプロジェクトのスタッフさん達はジオラマのこども達に話が聞きたいと言った 「君たちは心から48グループの全てを応援している、だからこそ聞きたいんだ。今、君たちの元に来て嬉しいメンバーさんはだれだい?」 とスタッフさん達は真剣に聴いてきた。スタッフさんの中にはぱるるさんとかはどうかな?と勧める人もいたが、こども達はハッキリ言った 「SKE48の松村香織さんです」と スタッフさんは最初、冗談かと思って笑ったが、こども達の眼差しに気づいて、真面目に話をきいてくれた かおたんがずっと励ましてくれている事、かおたんファンの皆さんが何もない被災地にずっと通ってくれていること、そして1人の全てを失った現地の女の子がそれを支えに生きていること。 誰かのためにプロジェクトのリーダーである石原さんは全てを聞いて、こども達に一言語った 「約束しよう。松村香織を連れてくるよ」と 2013年9月14日 かおたんこと松村香織さん、山田町初訪問 被災地訪問として異例なSKE48の松村香織さんと松井玲奈さんがセンターを務めるカタチでの訪問だった。 誰かのためにプロジェクトスタッフさん達から、こども達を救ったかおたんとファンの方、こども達へのリスペクトの意味がそこにはあった だが、かおたんを応援していたその子は町にはもういなかった。安静に過ごせる環境のある地へ、引っ越した後だった。 かおたんは手書きの手紙やチェキ、1コメダで使っていたマイクなど、かおたんちゃんに渡すお土産をいっぱい持ってきた。そしてその子がいない事を知ると悲しみ落ち込んだ。 オレやこども達はその子から託されたメッセージをかおたんに伝えた。 「被災地にはそうしたこども達がいっぱいいます。わたしはかおたんの道をファンとして作れて幸せです。だから他の子に大好きなかおたんの応援を託します。みんなを幸せにしてあげて下さい」 訪問ライブに集まった被災地のお客さんは2000人になった。今でも記録に残る訪問ライブだ 玲奈さんとかおたんはセンターを務め、かおたんの新曲マツムラブもここで2回目の披露となった 会いたかった子はいない。それでもかおたんのマツムラブは、被災地に響き渡り理由を知る人達はみんな涙を流した。 そして時は経ち、2016年9月 かおたんは山田町にプライベートで遊びに来た。あれ以降、かおたんは自分に道を作ってくれた「かおたんちゃん」との約束を守り、今でもこども達や町の人の良き理解者として何度も個人的な訪問を続けている。 かおたんは来るたびに聞いてくる 「かおたんちゃんは元気ですか?青森ですよね、会いたいなあー」 そんな呟きをしながら、かおたんは被災地で過ごすこどもの家に訪問をしてサプライズで誕生日を祝ったりしている かおたんは今でこそ、被災地で愛された信頼された存在となったが、その道を作ったのは1人のかおたんちゃんと呼ばれた女の子と、夢を現実にしてやろうと被災地にいく理由をずっと通って被災地支援を続けたかおたんファンの皆さんのチカラがあったからこそだった かおたんが被災地ではじめてのライブが終わった時、燃え尽きたかおたんに誰かのためにプロジェクトのスタッフさんが強く呼びかけた 「松村!わかっているな?今回はどんな意味があって、お前を呼んだか。だからな、この町とこども達はお前がしっかり、ずっとこの役目を果たさなきゃいけないからな」 かおたんは汗をかいたままで立ち上がり、笑顔で応えた 「はい!わかりました!」 あれから数年が経ち、被災地は変わったけど少し落ち着いたかおたんと、少し大人になったこども達は今でも笑顔の交流を続け、かおたんファンの皆さんも笑顔で町に観光で訪れている この先も、ずっとずっと交流は続いていくだろう。

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