リトーク
トーク情報ビリビリ 見城徹見城徹 削除されたユーザー自己検証の為に日々、日記を書き始めて「今日を終わらせる」事で死ぬ。「今を意識する事」で生きる。生死を繰り返している気がします。日記の表紙に「放熱のへの証」と書きました。 ①気持ちを叩きつける日記②それを誰かに伝える為の日記を書いています。 今「字体」について考えています。 丁寧なら、癖のある字でも良いか。ペン字見本のような字の方が良いか。 見城さんは、字の練習もされていますか。東野さん、「他者への想像力」と「他者への自己承認欲求」とは違います。僕が東野さんに抱く違和感はきっと東野さんが「他者の目を気にし過ぎる」ところから始まっていると思います。何かを成す人はつべこべ言わずに黙って圧倒的努力をしています。結果が出れば、他者は貴方を認めます。
気になったのでもう一度、書きました。
何か言葉が空回りしていて勿体無い気がします。ビリビリ 見城徹見城徹 削除されたユーザーGNOの原点はあそこにあったのですね! 人生の物質的成功に憧れ、生き急いでいる僕に頂いた見城さんさらのメッセージだと捉え、今の気持ちを大切にしていきます。 ボートを反転させて合流した後の二人の笑顔が忘れられません。人生に大切なことのすべてがそこに集約されている気がしました。 「感情を飲み込む余裕のない僕」「感情を飲み込んだ僕」 映画の最初と最後で僕のボートも反転させられてしまったなぁ。。。笑「男たちの挽歌」には男の譲れない一線が鮮やかに描かれています。
落ちぶれても誇りさえあれば男は生きて行ける。もう駄目だと思えた時、僕はチョウ・ユンファのように生きられるか?いつもそのことを思って来ました。
アラン・ドロンとチャールズ・ブロンソンの「さらば友よ」もそうですがB級映画には雑な描写の故にストレートに胸を衝く映画が沢山あります。
めげそうになった時、僕が観るもう一つの映画は「モハメド・アリ ザ・グレーテスト」があります。
「ザ・ベスト・オブ・フォアマン」も好きです。ビリビリ 見城徹見城徹 仕事の結果が出れば出るほど、結果を出した人は苦しくなる。周囲や上司は更なる結果を求めるからだ。例えば一つのベストセラーを出すとする。会社はもっと売れる戦略を課して来る。圧倒的努力でベストセラーを作ったのに、作ったその人こそが辛い立場に追い込まれる。つまり、仕事の結果を出すと、その結果より先の困難な問題に立ち向かわざるを得なくなる。「もっと、もっと」と周囲は期待する。クリアしてもクリアしてもそれは続いて行く。つまり、無間地獄なのだ。しかし、結果を出すとはそういうことなのだ。憂鬱でなければ、仕事じゃない。それを日々実感し続けていると、地獄の道行きが楽しくなる。充足感に満たされる。困難や試練こそが生きている証なるのだ。