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AKBトーク(ニョッキー)
トーク情報ニョッキー(SEO/お笑い芸人) 見城徹見城徹 ↑ 幻冬舎を創って32年。苦闘の連続だった。
僕の恐怖と不安と絶望の日々を誰も知らない。地獄を這いずり回り、辛うじて孤独な毎日を生き抜いた。32年が経った。今朝も恐怖と不安と絶望に苛まされている。耐えて、耐えて、耐え抜く。
狂わなければ戦えない。狂え。狂って立ち上がれ。狂って突っ込め。狂ってこそ人生。僕にはそれしかない。- ニョッキー(SEO/お笑い芸人)
ニョッキー(SEO/お笑い芸人) 人生50年。夢に向かって猛進し、夢破れ挫折し、別の道に進んで20年。
負債という名の夢の代償を背負い、今生きています。
負債があるので人生のリタイアは許されない。
地道に、時にがむしゃらに、働くしか、生きるしなかい。
地獄ともいえる困難な道になるかもしれないけど、それでも生きるしかない。
もはや狂うしかない。
狂いながら生きるのだ。 ニョッキー(SEO/お笑い芸人) 見城徹見城徹 ↑ 僕がKADOKAWAに入社して配属されたのは文芸誌[野性時代]でした。[野性時代]は短編や連載の他に毎月、長編一挙掲載というのがあって、原稿用紙400〜600枚ぐらいになりました。
生原稿を印刷会社に入稿する前に、担当編集者、編集長、校正者、挿絵を担当するイラストレーターに渡すためにコピーを4通取らねばならず、それは新人の仕事でした。短編は苦になりませんが、長編一挙掲載ともなると大変です。1975年ぐらいのコピー機は4通いっぺんには取れず、4回繰り返さなければなりません。この雑用をしながら僕は考えました。コピーを5通取ろう。1通を自分用にしようと思い付いたのです。それを家で読みながら自分だったらどう直すかを考えるのです。
雑誌が出来て作品を読むと担当編集者は大した直しを入れていません。自分の直しはもっと作品を良くしたのにと、いつも思っていました。やがて、担当作家を持つようになると、そのコピー取りが僕の編集力を鍛えてくれたことを実感しました。雑用も本人の工夫一つで黄金の仕事になります。今でもあのコピー取りが僕の仕事の原点です。- ニョッキー(SEO/お笑い芸人)
ニョッキー(SEO/お笑い芸人) 私は本を3冊出版、1冊の寄稿をしましたが、その中でも編集者さんとは様々なやり取りをして、時にはやりあいました。
メールでのやり取りだったのですが、メールの文章だと冷たく感じるじゃないですか。
それでイライラすることがあって、そこで「直接会って話しましょう」と言って出版社まで行って話し合いました。
思えばそれだけ、編集者さんは私の本に対して真剣に向き合ってくれた、ということですよね。
本当に頭が下がります。