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ニョッキー(SEO/お笑い芸人)
ff(ゆっぺり神推し)48
ff(ゆっぺり神推し)48
ニョッキーさん、こんにちは!いよいよ待望のずっきーちゃんの写真集が発売されますね!自分も前々からずっきーちゃんのスタイルの良さはわかってたのでようやくという感じです!、、、この写真ですがランジェリーということはもちろん水着もありますよね?!😏

最高です!

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AKBトーク(ニョッキー)
トーク情報
  • ニョッキー(SEO/お笑い芸人)
    見城徹見城徹

    ↑ 有難うございます。
    [無理]は「理」が「無い」と書きます。僕のような凡人は「理」があることをしていたら天才たちには敵わないに決まっています。だから、無理を選んで突破して来た。「理」が無いことをやり切って結果に繋げて来たのです。だから、いつも苦しい。だから毎日憂鬱です。それが肉体的に限界に来ていることは解っているつもりです。要は今までして来た人生を降りるか?降りないか?の問題です。リングを降りれば楽になります。けれど、僕は降りない。[あしたのジョー]のようにリングで死ぬ。白い灰になって燃え尽きる。
    「無理を突破しなければ、人生じゃ無い!」そう呟いて[あしたのケンジョー]になります。
    I Will Go to War!

  • ニョッキー(SEO/お笑い芸人)
    見城徹見城徹

    ↑ 間違ってオリジナルを消してしまった
    [明日になったら]を吉田真悟がアップしてくれました。最後の4行が胸に沁みる。
    辛い夢のなかに苛酷な影をを刻みながら、孤独な未来へと僕もゆかねばならない。
    まだ戦えるか?まだ戦うしかない。
    無数の僕の敵に僕は出てゆく。待ってろよ。

  • ニョッキー(SEO/お笑い芸人)
    ニョッキー(SEO/お笑い芸人)

    「まだ戦えるか?戦うしかない」
    またに私はそのような状況にあります。
    恥ずかしながら負債を抱えており、
    年齢も高くなり持病で身体も不自由ですが、戦わないと生きて行けない。
    両親もぎりぎりの生活、独身で子供もおらず誰にも頼れない。
    戦うしかない。

  • ニョッキー(SEO/お笑い芸人)
    見城徹見城徹
    秋元康
    僕はなぜ、全力で仕事をするのか?全力で仕事をして来たのか?自分でもわかりませんでした。でも、精神のアスリート、見城徹を見ていて気づきました。僕も“熱狂”していたかったんだ。下手な小細工をするより、正面突破の爽快感。まさに、暗闇でジャンプです。4月12日発売の「たった一人の熱狂」は、熱狂の面白さを思い出させてくれます。肩を痛めてまで、熱狂し続ける男、見城徹を尊敬します。

    多分、秋元は脇目も振らず一つのことに熱中する子供だったと思います。多分、他の子供よりマイナーなことに。
    僕は子供の頃、妄想ストーリーを作るのが好きで、みんなの間で流行している遊びには背を向けて、一人で夢想する世界に浸っていました。そこには子供ながらにマイナーな性的な願望も関係していたような気がします。
    秋元が高校時代から放送作家をしていたのも、当時の高校生からしたら亜流も亜流、大マイナーだったと思います。みんなは大学受験を目指しているのに、それには背を向けて、一人だけ放送作家にクールに熱中する秋元少年の姿は想像するだけで楽しいです。多分、まともに勉強していれば東大にも行けたかも知れません。
    マイナーを極めなくてはメジャーには行けないと僕は思っています。マイナーを極める「集中」と「発想」と「熱狂」が、やがてメジャーを突き動かすんだと僕は経験で知りました。
    秋元の仕事は[人々の無意識な領域]に突き刺さります。それは「計算」と「戦略」と「資本」だけでは成し得ません。秋元の中で燃え続けた、[小さいもの][片隅にあるもの][疎外されたもの]に対する孤独な熱狂が根底に横たわっているからです。
    「固有名」から「匿名」へ。「定冠詞」から「集合名詞」へ。それは取りも直さず、マイナーを極めて大メジャーに突き抜ける前人未到の軌跡です。
    僕にも子供時代から孕んでいる「集中」と「発想」と「熱狂」が七転八倒しています。
    正面突破。
    秋元の存在に刺激を受けて、今日もメジャーに突き抜けます。
    たった一人の熱狂だけを武器にして。

  • ニョッキー(SEO/お笑い芸人)
    ニョッキー(SEO/お笑い芸人)
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    秋元康さんやには足元も及びませんが、見城さんのお言葉に共感を覚えました。
    私も2004年頃にSEOというものを知り、独学で勉強しました。そして様々な出版社に企画書を送り、技術評論社という出版社に採用され、2010年にSEOの書籍が出版されました。
    当時としては「マイナー」だった「SEO」というものを世の中に広めるお手伝いが出来たのかな、と思います。
    私はもともと料理人をしながら芸人を目指していて、ITの人間ではありませんでした。そんな勉強のできない私がSEOの本を出版できたのはかなり異色のことであり、マイナーなSEOを好きになれたからこそだと思います。