Jabyのトーク
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Jaby 藤田晋bot藤田晋bot 前回の続き、ギャンブルは負ける、
というお話です。
ギャンブルは負けると聞くと、
多くの人は素直に頷ける話だと思います。
しかし、実際ほとんどのギャンブルは
勝つ確率五分五分です。
自分だけは勝ってもおかしくないのでは?
と考えるのが心情ですが、
現実に、勝ち続けることも、勝ち逃げすることも非常に難しく、ギャンブルにハマれば多くの人は負けてしまいます。
予め申し上げますと、私は
運とかツキとか流れなどは、
目に見えないものだけど存在するという立場で書いているので、いささか論理的ではないと感じる人もいるかも知れませんが、
ここから先、
私の持論を繰り広げさせて頂きます。
前回も書いたとおりですが、仕事に
おいても人生においても、
誰もがギャンブル的なものを避けて
通ることはできません。
経営においてもギャンブルのような
勝負所の見極めが必要な局面に
度々出会います。
そんな時、真面目にコツコツ働くけど、勝負勘が悪いという社長では、
その下で働く従業員は可愛そうです。
もちろん経営はギャンブルではありません。でも、経営者はギャンブルとは何かを正しく学び、勝負勘を磨く必要があると、私は思ってます。
カジノで106億円も負けた、元大王製紙の井川さんが著者の中でこんなことを書いていました。
「ギャンブル好きは、ギャンブルに向いていないのである」
私はこの言葉に全く同感です。
ここで井川さんがハマったカジノの
バカラ のルールについてお話すると、
バカラは、基本的に「バンカー」か
「プレイヤー」のどちらかに賭ける、
単純なギャンブルです。
期待値(100賭けていくら戻ってくるか率)も98%と、場代も他の公営ギャンブルに比べれば少ないようです。
こんな単純なゲームで、確率2分の1
なのに、どうやったらそんなに負けるのか、と思うかも知れませんが、実際、大金を負けてしまう人がいるのです。
脅威的な収益 を誇るマカオのカジノの
主な収益源は、井川さんのような客の
負け分です。
でも、決してカジノ側がイカサマを
している訳では ありません。
お客さん側は、いくらか場代を払っているものの、有利な二つの権利が与えられています。
一つは、掛け金をアップダウンしていい権利、もう一つは、いつでも止めて席を立っていい権利です。
これらを駆使して勝てば良い訳ですが、それには自分のツキを見極める必要があります。つまり、ツイている時は掛け金をアップして、ツイてない時には止めればよいのです。
ところが、人間は不思議なもので、
欲望のままにギャンブルを楽しんで
いると、勝ち始めると、
ツイているのに早く利益を確定したく
なって止めたくなり、
負け始めると、
ツイてないのに、取り返そうと熱くなって倍プッシュとか言って 賭け金をあげてしまうのです。
そして席を立てないのです。
つまり、真逆の行動をとってしまうのです。
欲望のままにギャンブルをやっていると、
「勝ちすぎではないだろうか」
という恐怖心に負け、
「こんなに負けてて止められるか!」
という感情に流されてしまいます。
つまり、人間の弱い心に負けてしまうのです。
そして、悪いことに、そんな風に
本能のままに欲望に流されてやる
ギャンブルほど楽しいことはありません。
マカオやラスベガスのような
カジノに行けば、欲望の全てを満たしてくれるようなきらびやかな世界が
待ってますが、それに乗って欲望に
身を任せれば、いずれ負けてしまいます。
その逆、つまり調子が良い時に
掛け金を増やし、調子が悪い時に、
席を立って止めるというのは言葉に
するほど簡単ではありません。
冷静に客観的に自己を見つめ、
恐怖心に打ち克ち、惰性を断ち切り、
忍耐を重ねるように取り組むギャンブルは、まるで精神修行のようです。
私自身も年に1度か2度、
カジノに行って、精神修行のように
ギャンブルに没頭することにして
いますが、何が楽しいのか、
自分でもさっぱり分かりません。
井川さんの言った、
「ギャンブル好きは、ギャンブルに向いてない」
とは、つまりギャンブルを楽しんでいるようでは勝てないということだと思います。
学生時代、雀鬼会の雀荘に通っていた 頃、桜井章一さんから、
「自己を律せ」という言葉を何度も
聞きました。
惰性まみれの大学生生活を送り、
欲望の赴くまま雀荘に通っていた
私には衝撃的な言葉でしたが、
今ではその意味がよく分かる気がします。
己の弱い心に打ち克てないようでは、
結局は勝負に勝てないのです。
ギャンブルは悪いイメージがあり、
もちろん学校教育で教えてもらえる
ようなものではありませんが、
生きていく上で大切な知識だと思います。
それを私は麻雀から学びました。Jaby 見城徹見城徹 早川誠今日、遅くなりましたが、文庫本の たった一人の熱狂を 読ませて頂きました。その中で、p.124 の「感想を伝えることに無頓着な人とは僕は付き合えない。」という、一文に頭をハンマーで殴られたような、衝撃をうけました。尊敬してますとか、憧れていますとか、思っているだけの状態ではいけない。「自分の気持ちを伝えることが、人間関係の最初の一歩」この文を見て、いても立っていられなくて、やじコメを書いた次第です感想を言わない方がいかに多いことでしょう。感想を言うことは面倒です。苦しみます。しかし、だからこそ感想を言った相手の心を撃つのです。そこから、本当の人間関係が始まります。感想を言うのは皆さんが持っている小さなキラーカードです。僕は新米編集者の頃、五木寛之さんに作品が発表される度に、それがどんなに小さなエッセイでも感想の手紙を送り続けました。25通目にお会いすることが出来、直ぐに連載が始まりました。イランが舞台だったために、取材旅行もご一緒し、すっかり親しくなりました。その作品「燃える秋」は単行本になってベストセラーになり、東宝で映画化もされました。17年後、幻冬舎の名付け親にもなって頂き、「大河の一滴」は300万部の大ベストセラーになりました。全ては感想から始まったことです。感想は全ての人が持っている小さなキラーカードです。