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hiro_numakumanoumiのトーク
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  • hiro_numakumanoumi
    藤田晋bot藤田晋bot

    「自分のアイデア」というのはそもそも
    間違えやすいので、注意が必要だ!、
    くらいに思っておいたほうが良いです。

    タイトルを「3つの理由」とすると
    ブログのアクセスが伸びると聞いて、
    私もやってみました。


    他社のことや、他人のことであれば、
    冷静に客観的に評価できるし、
    それなりに知識も情報も持っている人でも、
    自分のこととなると、途端に別人のように
    判断ができなくなる人がいます。

    それはなぜでしょう。

    昨日、スマホの新規サービスのアイデア
    を聞きながらフィードバックした内容を
    書いておきます。


    

1.誰も本当のことを言ってくれない。


    本当のことを言ってくれるのは、
    それに投資をする人か購入する寸前の
    人だけです。それか家族くらいです。

    普通は一生懸命アイデアを話す人に
    対し、否定的なことは言って傷つけたり
    嫌われたくありません。
    それどころか、よくないと思っても、
    それを口に出して言わないばかりか
    「へー、いいですね」
    などと無責任に盛り上げてしまったりします。

    それらのフィードバックを聞いて、
    手ごたえを感じたりしてはいけません。


    

2.盲目になりやすい。


    自分の赤ちゃんや飼ってるペットは
    可愛くして仕方ないので、
    みんなも見たいに違いない、と
    ついソーシャルに写真をアップして
    しまいますが、他人から見た場合、
    必ずしもそうでしょうか?

    この場合も誰も「可愛くない」とは
    言ってくれません。
    「元気な赤ちゃんですね」と
    当たりさわりのないことを言ったり、
    (いいね)を押して相手を喜ばせよう
    としてくれたりします。

    自分がゼロから考えたアイデアは
    赤ちゃんのように可愛いので、
    盲目になっているかも知れません。



    
3.答え合わせのように、自分の正しさを裏付ける情報にばかり目がいく。


    「自分のアイデアが正しいと信じたい」
    という気持ちがあると、
    今までは目をすり抜けていたような
    情報でも、それを見つけては、
    「やはり間違いない」
    と確信を深めていき、それ以外の情報
    は目に入らなくなります。

    もちろん、それは顧客となる一般ユーザー
    とは違う、バイアスのかかった視点であり、
    バランスを欠いているといえるでしょう。




    以上、書きましたが、とはいえ、
    最後までやり切る力と覚悟があれば、
    アイデア段階で多少間違えていようが、
    他人がどう評価しようが、
    なんとかなることもあります。

    決済者(私)を説得してアイデアを
    納得させるところに力を入れているようでは
    まだまだです。

  • hiro_numakumanoumi
    藤田晋bot藤田晋bot

    ネットサービスのプロデューサーや
    開発陣と仕事をしていると、
    最初はユーザー目線で創っていた
    筈なのに、いつの間にか
    そうではなくなっていくパターンは
    大きく分けると二つあります。

    (1)収益を稼ぐことを優先する。

    (2)運営側が使わせたいサービスを
    全面に押し出す。

    そして、実感値として圧倒的に(2)の
    ケースのほうが多いです。

    昨日も新規サービスをチェックしていて、

    「それは我々が使わせたい機能の
    ゴリ押しでしょ」

    「ユーザーが使いたいものではなくて、
    自分が使わせたいんでしょ」

    などと指摘したのですが、この話、
    今まで本当に数えきれないくらい同じ
    話を多くのプロデューサーにしてきました。

    「ユーザーに対するデリカシーが
    お前は足りないんだよ!」
    とか、
    「おもてなしの心がないのか!」

    などと口汚く罵ったこともあるのですが、
    大抵の場合、それを指摘された側は、
    怒ってる私をみてキョトンとします。

    なぜなら、皆、「ユーザーのために」
    必死で考えて持ってきたものだからです。

    何故このような事態が起きるのか?
    それを考えていたら、
    9年前、livedoorに匿名で書いてた
    時代の自分のブログに ちょうどそれを
    表す記事がありました。

    ―――
    <抜粋>
セブンイレブンの鈴木会長だったと思う。

顧客主義について、ありがちな勘違いを
何かのインタビューで見事に言い表していた。

「顧客のために」と「顧客の立場に立って」は違う。
    
子供のために子供を叱っているつもりでも、子供の立場に立ってみればありがたくもない。それと同じ。
    ―――

    顧客主義は、ユーザー目線と同じ意味です。

    「ユーザーのために」、
    これを使ったほうがこのサービスが
    楽しめるとか、
    こういう使い方をしたほうが便利だとか、
    皆が楽しいサービスになるはずだとかは、
    子供ために子供を叱っているのと
    同じ思考回路だと思います。
    ユーザー視点のありがちな勘違いなのです。

    ユーザーのためにではなく、
    ユーザーの立場に立って、
    思わず使ってしまう、
    気が付いたら便利だった、
    はまっていた、
    そのようなサービスをユーザーの立場に
    立って必死になって考えて創り、
    その結果として、我々が描いているような
    基本ループの使い方やコミュニケーション
    の楽しみ方をして頂けるようなサービスを
    創っていかなくてはいけません。


    ユーザー目線とは、
    「ユーザーの立場に立つこと」
    ユーザーためにとは違う。

    これを肝に銘じていこう!みんな!

  • hiro_numakumanoumi
    見城徹見城徹

    自分は思い込んでいないか?
    自分は勘違いしていないか?
    自分は楽な方に流されていないか?
    自分は面倒なものを避けていないか?
    自分は自己満足に陥っていないか?
    日々、自己検証です。

    1
  • hiro_numakumanoumi
    見城徹見城徹

    死が絶望ではなく永遠の安息だとしたら、生とはなんだろう?僕は今のこの一瞬にかりそめに生きている。悩み、苦しみ、もがきながら生きている。古代でもなく、戦国時代でもなく、明治時代でもない。昭和25年12月29日に静岡県清水市吉川450に生まれた。その前は僕は存在しなかった。僕が死んだ後も存在しない。しかし、世界は続く。何故、日本の静岡県清水市に生まれたのか?何故、イタリアのジェノバではなかったのか?何故、昭和の時代だったのか?死とは現実からの消失である。一夜の夢のように人の人生は消える。人生、夢幻の如し。それで良し。

  • hiro_numakumanoumi
    見城徹見城徹

    1万年前もあったのだから1万年後もあるだろう。1万年だってあっという間の時間だということだ。生命って何だろう?一瞬を生きて死ぬ。1万年後の人たちにとって令和2年の時代なんて有史以前の時代になっているはずだ。歴史に残っていない。だから、時間など存在しない。時間とは便宜上人間が決めたものだ。本当は時間は流れていない。ただののっぺらぼうだ。無だ。今を生きている僕たちだって実はは存在しないと同じだ。ただの泡なのだ。そう思えば気持ちが楽になる。千年前に死んでも今死んでも、同時に死んだようなものだ。それを認識した上で圧倒的努力をする。戦う。それしかない。

  • hiro_numakumanoumi
    見城徹見城徹

    年齢は30歳だとする。地球が何らかの理由で壊滅して1人だけ生き残ったらどうだろう?他者がいないのだから多分、その人は生きる理由がなくなる。誰かが生きているかも知れないという希望はないと仮定しての話だ。2人生き残ったらどうだろう?男と女。男と男。女と女。3パターンが考えられるが、生き延びようとするだろうか?3人だけ生き残ったらどうだろう?
    他者があれば人は生きる選択をするのか?
    人は他者がいなければ生きられない。
    しかし、他者こそが自分を傷付ける。
    自分を傷付ける人がいる時、その人と2人だけが生き残った地球を想像する。すると、その人を許せる。そうするしか道はないからだ。
    3人生き残ったらその人を許せない。何故ならもう1人の他者の目があるからだ。人は他者の目を気にしないでは生きられない。
    他者の存在は生きる絶対条件だ。しかし、3人以上になると、その他者こそが自分を苦しめる。
    そんなことを考えている朝。徒然なるままに。

  • hiro_numakumanoumi
    見城徹見城徹

    年齢は30歳だとする。地球が何らかの理由で壊滅して1人だけ生き残ったらどうだろう?他者がいないのだから多分、その人は生きる理由がなくなる。誰かが生きているかも知れないという希望はないと仮定しての話だ。2人生き残ったらどうだろう?男と女。男と男。女と女。3パターンが考えられるが、生き延びようとするだろうか?3人だけ生き残ったらどうだろう?
    他者があれば人は生きる選択をするのか?
    人は他者がいなければ生きられない。
    しかし、他者こそが自分を傷付ける。
    自分を傷付ける人がいる時、その人と2人だけが生き残った地球を想像する。すると、その人を許せる。そうするしか道はないからだ。
    3人生き残ったらその人を許せない。何故ならもう1人の他者の目があるからだ。人は他者の目を気にしないでは生きられない。
    他者の存在は生きる絶対条件だ。しかし、3人以上になると、その他者こそが自分を苦しめる。
    そんなことを考えている朝。徒然なるままに。

  • hiro_numakumanoumi
    hiro_numakumanoumihiro_numakumanoumi

    イエスマンばかりの会社は面白くない

    全てがイエスマンだと失敗するときはダメージがでかい

    多種多様な考え方を受け入られる器量がなければ成長もない

    方向性も示さずワンマンで上からの命令だけは絶対ならば、全て分担せず一人でやれば良い

    目的だけはっきりしていれば戦略や戦術は下々の者が考えを出し合えば良い

    やる前からあれはダメ、これはダメのダメ出しばかりで案を出さないなら、誰もやる気は出せなくなる

    結果はなにかをやったそのあとにしか出ないのだ