発足以来のAKB48グループの不祥事や騒動の繰り返しを、NGT48の今般の騒動に鑑み、考えてみました。
とは言っても闇のベールがかかった芸能・興行界・派遣置屋商売、それを飯の盾にする放送・出版関連業界(の裏の部分)と広告・宣伝請負業界、それらを全くの素人の一般市民が詳細に把握することなど完全に不可能なことです。
とは言え、最低限目に見える部分での合法性・適法性、のみならず市民社会での公共の福祉を踏み外さない道義性の観点から、そう、その目に見える部分だけでもしつかり見て、疑義を感じ、その確証があれば、恐れずに批判の声を挙げることが今後ますます求められることになるのではないいだろうか。問題は今日のネット社会での匿名(実際には実名を調べるのは可能だと思うが)をよいことにした言いたい放題の無責任な誹謗中傷の氾濫に辟易するあまりに、法的根拠及び市民社会の公共の福祉を拠り所にした批判をも十把一絡げにして(あれは文句ばかり言っているバカだ、批判などは何の実益も生まない)などと言いくるめようとする者(批判者嫌い)もいる。
実際、確かにそのへんの見極めはなかなか難しいところもあるかとも思う。が、なんでも無批判に現実をひたすら唯唯諾諾と受け入れることの方が招く結果は恐ろしいことは歴史が証明している。なにを大袈裟な、とお思いの向きもあるだろうが、言いたいのは批判行動そのものを否定する「言論人」なるものはそれ自身自己矛盾であるということだ。
我ら無名の市井人があれ?なんかへんじやね⁈おかしいだろ‼︎と感じてなおうまく筋道立てて批判できないことを、裏どりをして理論を構築して表に引きずり出すのがマスコミの役目である。
うーん、なんだか論点がずれて来ていますなあ。なんだっけ、AKB48グループの不祥事や騒動の歴史を見ることによつて、フアンが正当に稼いだお金をつぎ込んで楽しく過ごせる法的にも道義的にも適正なエンターテイメントの一環としてのアイドルグループの運営を求めたい。そのためにはどうするべきか、という、全くのことに1フアンが語るには大きすぎることを身の程知らずにも、日曜日たで出来た時間を利用して書いてみようかな、と思ったのだが。
いきなりズバリと結論を言おう。私は儚い望みを抱いている。あの日産自動車のように、いつの日か西川廣人社長のような傑物が株式会社AKSに颯爽と登場することを。んなことあるわけないか。
前へ次へ