山田 達也のトーク
トーク情報- 山田 達也
山田 達也 少し長文です。
懐かしい思い出だ
涙が溢れた日
10年も会っていなかった父の姉、おばさんに会ってきました。
久しぶりに涙があふれました。
私が子供の頃は、おばさんは田舎で人気の美容室の先生でした。
私たち兄弟はおばさんにはずいぶん可愛がってもらいました。
美容室に行けば毎日がクリスマスのようで、いろいろと良くしてもらったことを覚えています。
おばさんはサンタさんみたいな存在でした。
ところが病気が原因で仕事は辞めることに。
それからおばさんは仕事をまったくしなくなります。
結婚もすることなく、生涯ひとりでした。
私の父が、生活保護の手続きをしてどうにか生活をしていたそうです。
生活保護を受けていたころは、見た目も汚くなってしまい、私はそんなおばさんを見ることが嫌でした。
そのうちにまた病気をして、とうとう施設に入ったおばさん。
施設の費用は、なんと私の母がすべて払って、月に一度は通っていたのだそう。
母は、そのおばさんにいじめられまくったというのに。
あれだけいじめられた山田家の嫁なのに、なぜ母はおばさんの面倒をみてきたのでしょうか。
それは、亡くなった父の母に対する愛が深かったからだと思います。
母は、父から受けた愛情に感謝して、その父の愛情に応えるかのようにして
父の姉であるおばさんのことも愛そうとしたのだと思います。
昨日、そのおばさんと10年ぶりに会いました。
余命10日といわれたようです。
身内は誰もいません。
いや、唯一の身内は母と私でしょう。
おばさんの顔をさすり、手にぎって、呼び掛けましたが、目をあけることはありませんでした。
私はおばさんの名前を呼び、ありがとうと頬ずりをしました。
あれだけ汚いと思ったおばさんでしたが、なぜか涙が止まらなくなりました。
血の流れって
凄いなぁ
子供の頃の思い出だけが
目頭から溢れ落ち頬をつたいます。
帰りの車で、母に「あんたはすごい」とお礼を言いました。
すると母は言いました。
「おばさんはもう生活保護受給者ではない、一人の人間として土に還り、神になるんだ」と。
子供のいないおばさんは、私たち兄弟の相撲の自慢ばかり看護師さんや病室の患者さんに話していたようです。自慢だった見たいです。
認知症になってからは、子供はどこ?と探していたと看護士さんから聞きました。
私も兄も双子で大学相撲で活躍
兄は日本一の埼玉栄高校相撲部監督山田道紀です。
涙が止まりませんでした。
そんな、おばさんももうすぐ旅立ちます。あと何回か会いに行きたいと思います。
お葬式は私にやらせてくれと、母に伝えました。
天国の父と、おばさんの面倒をみてくれた母への、せめてもの親孝行です。
大将