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    11月19日(土)「みんなが主役!SKE48 59人のソロコンサート〜未来のセンターは誰だ?〜」@愛知県芸術劇場大ホール 1日目 昼公演

    影アナ:須田亜香里

    ○松本慈子
    ・窓際LOVER(ピアノ弾き語り)
    ・Seventeen
    ・前しか向かねえ


    ○髙塚夏生
    ・Dear J
    ・てっぺんとったんで!
    ・365日の紙飛行機


    ○町音葉
    ・最高かよ
    ・特技披露(しの笛→失敗、ルービックキューブ→失敗、ジャグリング→失敗)
    ・東京ブギウギ


    ○野口由芽
    ・枯葉のステーション
    ・体育館で朝食を(歌いながらチャーハン作り)


    ○酒井萌衣
    ・制服のマネキン
    ・世界で一番孤独なLOVER
    ・ガールズルール
    ・ハルジオンが咲く頃


    ○相川暖花
    ・ハート型ウイルス
    ・ウィンブルドンへ連れて行って
    ・アーモンドクロワッサン計画(わんこそばタイム)
    ・控えめI love you!


    ○山内鈴蘭
    ・口移しのチョコレート
    ・愛しさのdefense
    ・ハート型ウイルス


    ○末永桜花
    ローラースケートで登場
    ・会いたかった
    ・街角のパーティー
    ・逆転王子様
    ・わがままな流れ星
    ・オキドキ
    ・10年桜(歌いながら綿あめ作り)


    ○福士奈央
    ・恋を語る詩人になれなくて
    ・制服の芽
    ・思い出以上
    ・ジェラシーのアリバイ
    ・仲間の歌(さのまる登場)
    ・ウイニングボール
    ・さのまる音頭


    ○内山命
    ・枯葉のステーション
    ・金の愛、銀の愛


    ○二村春香
    ・抱きしめられたら
    ・彼女になれますか?
    ・わるたむ


    ○後藤楽々
    ・世界には愛しかない(英語)
    ・虫のバラード(英語)
    ・Gonna Jump(英語)


    ○江籠裕奈
    ・ミニスカートの妖精
    江籠裕奈リクエストアワー ダーツで曲決定生着替え
    ・えご天(わるきー)
    ・片想いFinally


    ○熊崎晴香
    早口言葉
    ・サイレントマジョリティー
    ・気づいたら片想い
    ・Maxとき315号
    ・絶滅黒髪少女
    ・12秒
    ・大声ダイヤモンド
    ・制服を着た名探偵


    ○須田亜香里
    ・私がオバさんになっても
    重大発表 ソロ書籍の発売が決定。産経新聞出版より。
    ・君のことが好きなもんで

    本編終了

    第8期生19人初お披露目

    EN1 賛成カワイイ/8期生

    EN2 チャンスの順番/本編出演メンバー全員

    終演

    影アナ : 松本慈子

  • マルチェロマルチェロ

    「Stoicな美学」AKB48

    作詞:秋元康
    作曲:福田貴訓
    編曲:佐々木裕
    「次の足跡」Type Bディスク2収録


    学生時代にちょっと背伸びして入ってた喫茶店があって、名前が 珈琲美学 という店だった。美味いか不味いか分からないコーヒーに数百円払うのは正直痛かったが、どうも店の名前が良くてついつい何度もドアを開けてしまったものである。

    孤独な笑みを 夕陽にさらして
    背中で泣いてる 男の美学

    これは私と美学という言葉の出会い。夕方に小学校から帰ると再放送してたルパン三世のオープニングテーマである。赤いジャケットに細身のパンツ、ワルサーP38にジャジーなサウンドがかっこ良くて、子供心にこういう大人はかっこいいなと思ったものだ。

    美学という言葉を辞書で引くと、

    美学とは美の本質や構造を、その現象としての自然・芸術及びそれらの周辺領域を対象として、経験的かつ形而上学的に探究する哲学の一領域である。

    なんて書いてある。
    言葉の歴史を紐解けば、「美学」(aesthetics)という学問は、ドイツの哲学者アレクサンダー・バウムガルテンがギリシャ語から作ったラテン語の造語「Aesthetica」に由来するということだ。バウムガルテンは理性的認識に対して感性的認識に固有の論理を認め、1750年に出版された『美学』 (Aesthetica) により美学を一つの学問に位置づける契機を作った。
    その後、理性的認識を補完する意味合いから感性的認識の完全性を高める学問へと美学は形作られて行くのだが、要は美学とは感性に導かれ、感性を磨き、感性に従う、感性の旅のようなものである。

    そんな美学がタイトルを飾る楽曲を見て行こう。

    泣きのギターが吼えるイントロは強い印象を与えるものであるが、これは主題と言ってもよい部分である。曲を通して聴いた時にこのメロディー、ここに漲る感情が、僕の心内をありのままに奏でているのが分かる。ここについては、あらためてアウトロで語りたいと思う。

    楽曲において歌い出しは重要。歌の入り、ここの良し悪しで楽曲の流れが大きく変わるのだ。だからこそアレンジャーはイントロからこの歌い出しまでにサウンドからリズム、メロディーと全てを計算して組み立てる。
    この曲における渡辺麻友の歌の入りはまさに完璧だ。難しい入りをいとも簡単に美しく儚く見事に歌いあげる。この時点で曲の中に引きずり込まれずにはいられない。

    そんなAメロでクローズアップで描写されるのは”手”である。手には人が映る。ごつごつした手、か弱い手。大きな手、小さな手と様々だ。「しなやかな君の長い指」なんて描かれたら、私たちの脳裏にはそれぞれにおそらくは美しい女性像が現れる。さらにそこで掌が描かれた時、そんな女性像は体温を持って人格を形成する。しかしながら驚きなことにこの女性、歌詞中の”君”の描写はこれにて完結する。これ以後には彼女を直接想像するヒントは無い。
    私たちはAメロでまさに作詞家の手のひらで転がされる。

    BメロのKeyによるカウンターメロディーが切ない。Aメロから切ないのが、ここに来てさらに拍車をかける。
    歌詞においては状況説明ともいえるところ、僕と君がどんな状況下にあるのかが明かされるが、ここでは「沈没してしまったんだ」という表現にポイントがある。沈んではいけないのに沈んでしまったという意味で、彼女が眠りに落ちる事によって沸き起こる僕の欲望を見せつつ、それは洒落の効いた粋な表現のようでもあり、眠りについた君を見つめる僕の優しいまなざしも見て取れる。
    「沈没してしまったんだ」とはなんとも絶妙な表現である。
    Bメロ後半「僕のブランケットを・・・」の所はストリングスがタタタタタタタタッ♪と八分音符を嗾けるように刻み、それにベースも呼応する。歌詞にある柔らかいブランケットとは対照的な緊張感漲る展開だ。

    サビの前にジャジャッ ジャジャッ ジャッジャ♪と挟むキメ。そのままサビになだれ込んでもよいところだが、ここのキメが与える効果はどんなものだろう?
    ここは葛藤を圧縮したキメと言える。イマジンじゃないけど想像してみて欲しい。めちゃくちゃ大好きな子が目の前で可愛い寝顔で眠ってる。高まるハートはドキドキマックスだ。ギュッと抱きしめたくなる。でも大好きなだけに触れられない。美学なんて後付けで、本当は触れられないのだ。大切過ぎて。
    でも僕は自分の美学が欲望に打ち克ったと思う。ビリビリ痺れる緊張のなかで、あーどうしよう。キスするキスしない、抱きしめる抱きしめないと壮絶に葛藤を繰り広げた軌跡がとにかくこの一瞬のキメにあるのだ。

    サビの歌唱についてだが、

    ・ハートをそっと起こさ《ない》ように

    ・堪えきれずにキスをして《しー》まったら う《つー》くしくはない

    ・ハートをちゃんと起こし《 て》あげよう

    ・ふざけたように抱きしめ《 た》くなる い《 つ》もの僕なら

    この《 》のところにアクセントで入るファルセット(裏声)が効果的だ。ふっと音が抜ける儚さが何とも切なくて、僕の恋心その想いの強さが滲む。
    さらに「ハートをそっと起こさないように 部屋を出て行くよ」

    からの

    君が君が好きだよ
    (君が好きだよ)

    ここが堪らない。
    ここが本当に堪らない。
    このさらっと独り言のようにささやく感じに気持ちが凝縮している。コーラスによる反復もぐっと来る。
    ここから「このままキスをしてしまったら美しくはない」を経てサビの結び、「僕のstoicな美学」のところ

    《ぼーくーのー》
    《スートーイ》ックな美学

    この《 》内は同音反復になっている。ここの反復による効果は大きく、「とてもとても」みたいな反復で、僕の!!!stoicな!!!美学!!!てな感じにさりげなく僕の主張を膨らませるのである。欲望に自分の美学が打ち克ったと、僕は自分だけが知る勝利に興奮しているのだ。しかしそれは、もしかしたらただの臆病であった知れない自分をなだめているようでもある。「びーがーくー」と余韻を残しつつ空間に消えていく感じが美しい。

    サビの歌詞はいろんな捉え方が出来ると思う。これはあくまで一つの解釈。
    「ハートをそっと起こさないように」には3つの意味がある。一つはシンプルに眠っている君を起こさないようにという意味。二つ目は僕のハートが暴れて君に抱きついちゃったりしないようにという意味。三つ目は君が目覚めているとして、自暴自棄になって成り行きの行動に走らないようにという意味。
    君の気持ちがはっきりと僕に向かうまではキスはしない!本物の気持ちじゃなければ受け止めない!といって、stoicな自分に酔いながら部屋を出て行く僕。自然消滅の可能性もあるから酔わずにはいられない。これが自分の美学なんだと哲学に酔いしれる。

    二番の歌詞「ハートをちゃんと起こしてあげよう」。こちらも解釈は様々であるが、
    ・何も無かったようにお早うと起こしてあげる。
    ・僕自身の欲望を冷ます。
    ・ちょっと破壊的な衝動に走ってる君を覚ましてあげる。
    ・君のハートをいつか完全に自分に向かわせる。
    そんな意味が複合しているのかなと思う。

    そんなこんなを経てイントロと同じ間奏とアウトロを聴くとリアルに響く。欲望に打ち克ったカタルシスと片想いの切なさが同居する旋律。切なさを背負いつつ威風堂々部屋を去る僕は、皆さんには美しく映るだろうか?

    作曲は福田貴訓さん。SKK47きってのビジュアル派の福田さんであるが、最大の特徴は見た目と作る曲のギャップにある。一体誰があのビジュアルロック風あるいは南斗聖拳の使い手みたいな風貌から「やさしくするよりキスをして」を想像するだろうか?みるきーもびっくりである。
    冗談はさておき、作品群から感じるのは人間味である。人間味は筒美京平楽曲などのルーツにある音楽に宿る情感から来ているものと、福田さん自身の人間性から来るものが合わさって、喜怒哀楽の感情豊かな作品が並んでいるのかなと私は思う。
    ベーシストとしての技量も凄い。(本曲のベースプレイの事ではない。本曲のベーシストは不明)ロックのみならず幅広い音楽から演奏技術を吸収しているのが分かる。リズム隊の枠を越えてメロディックにアグレッシブに攻める演奏スタイルは、一言かっこいい。1ベーシストとしても物凄い才能を持った方だ。

    編曲は佐々木裕さん。パッションを感じさせる編曲家である。絵で言うと原色を使える方で、輪郭のはっきりしたパンチあるサウンドを作る。中音域に厚みのある空虚ではない芯のある音に特徴がある。
    また華やかで艶があり刺激的でもある。刺激は脳に作用するからまた聴きたくなるのだ。
    音の組み合わせも絶妙で時にアヴァンギャルド。EDMから「ラブラドール・レトリバー」みたいな作品まで扱う音の幅が広く、まさに音の錬金術士である。

    本曲のサウンド面に目を向けてみよう。骨太なドラムがビートの核だ。スネアのスピード感のあるサスティーンが、一打一打曲の推進力を増幅する。キックも芯がありつつローもふくよかに、高鳴る鼓動のようにステレオを揺らす。
    ベースの描くラインが素晴らしい。リズム楽器としての役割を維持しながらもメロディーラインと掛け合いつつ、楽曲を見事に彩っている。このベースの描くラインが主人公の僕の人格イメージに大きく作用していて、とても深く思考して、細やかな配慮がありつつ燃え盛る熱情にも富み、ふくよかに美しく躍動する。
    ギターはイントロ、間奏、ギターソロ、アウトロと泣きに泣きまくってドラマティックに曲を囃し立てるが、何気にサビにおけるバッキングが効果的でストリングと絡みつつ素晴らしい楽曲的効果を醸し出している。
    KeyはAメロにおけるクリーンなピアノサウンドの浮遊感と先に述べたBメロ前半のフレーズが印象深い。
    全体にはマッシブでやや電子的なビートと人間的なギター、Keyやストリングスの繊細さが調和して、主人公の美意識と興奮、緊張と切ない想いが入り混じったものを見事にサウンドにしている。電子音楽のキレと人間味ある音が自然に一体化しているのも素晴らしい。

    ところで”stoic”って何だろう?私の感覚で言えば、イチローみたいなのがstoicである。あるいは試合を前にしたボクサーがそれだ。
    ”stoic”は本来ストア派の哲学者をさす言葉である。ストア派とはヘレニズム文化から古代ギリシア・ローマ文化に栄えたストア派の事だ。
    後に道徳的腐敗を猟弾する思想のように勝手なイメージを持たれるが、本来の思想としては自然の摂理に従い、自然と調和して生きることを目指し、人間として本来在るべき姿になることで自ずと人間個々の欲望は消え去るという考えを説いたようである。
    現代においてストイック(stoic)は自分を厳しく律する姿勢、あるいは禁欲的な生き方になぞられるが、このstoicという言葉は紀元前のギリシアの精神性をそのまま表しているようだ。とても道端で欠伸など出来やしない。

    曲の世界に帰るが、もしかしたら彼女(君)はキスを求めていたのかも知れない。それが曖昧な愛情なのか、何かの反動からくる衝動なのかは分からないけど。
    恋愛巧者の法則に従うなら恋は積極性を求めるもの。”やさしくするよりキスをしろ”なのだ。
    部屋の中のほんの一場面。その場に渦巻く激しい感情、欲望と哲学の戦い。自然消滅のリスクを背負った危険な賭けに僕は勝ったのか、それとも負けたのか…
    とにかく静かに部屋を出ていく彼(僕)は、勝者であれ敗者であれ、誇らしげでなんかかっこいいのである。

  • マルチェロマルチェロ

    映画「君の名は。」感想

    この作品には多くの対比が詰め込まれている。都会と田舎、自然と人間、神の意志と人の意志、過去と未来、古きものと新しいもの、そして入れ替わる男性と女性。
    これらの対比が音楽で言えば低音と高音のように作品を鮮やかに輝かせるとともに、ステレオ効果ともいえる立体感を出している。この所感はこれらの対比を軸に記述して行こう。

    1.都会と田舎
    三葉の住む奥飛騨の糸守町は豊かな自然に包まれながらも封建的な社会、それに対して瀧が住むのは日本の首都大都市東京。一般的に田舎と都市部が対比される場合においては田舎に住む人間の心の純朴さと、都市部に暮らす人間の薄情さや冷たさを描くものだが、瀧を取り巻く人間達にはそんなものが微塵も垣間見れない。いやむしろ温かい。瀧のバイト先の奥寺先輩なんて都会美人そのものだけど、上っ面にしか興味のないお洒落大学生ではなく、瀧の心内を感じながら寄り添って、飛騨に向かう際にはしれっとついて来ちゃうあたり心優しい。
    映像描写においてもそれは同じくである。三葉が瀧に入れ替わったその朝の東京の描写の美しさにそれが表れている。朝日が照り付けるビル群は墓標でもなくコンクリートジャングルでもなく、生命力に溢れる樹木のようである。三葉の目に映る東京は呼吸する生き生きとした街なのだ。同じく奥飛騨の糸守町の小道から見える景色にも心通う人々の営みが気持ちよく描写されている。
    ここでは都会=冷たくて汚い、田舎=温かいくて綺麗みたいな退屈な対比は無く、田舎と都会のまるで違う景色を描きながらも、景色は私たちの心内を表しているのだと語りかけている。目に映る景色は鏡の如し、それは自分自身の心なのだ。

    2.古きものと新しいもの
    三葉は神主の一家に育った日本古来の宗教である神道を継承している。巫女として神楽を舞い、これも一家の伝統として組紐作りにいそしむ。この組紐、三葉が髪を結っている組紐が瀧と三葉を繋ぐキーアイテムとなるのだが、これと共に二人を繋ぐアイテムがスマートフォンである。
    三葉の古来より伝わる心的な能力は物語において奇跡的な出来事を引き起こすわけだが、現代の通信手段の最たるものであるスマートフォンもまた入れ替わった二人を結びつけるツールとして大いに活躍する。また組紐もまた二人を繋ぎとめるまさに糸となるが、このように古きものと新しいものが交差しながら未来を形成していくところにもメッセージがあるのではないだろうか。

    3.入れ替わりの効能
    入れ替わりって何だろう?入れ替わりは主として国内アイドルドラマ・映画の恰好の材料となって来た。
    一つには願望がある。男が女に、女が男になりたいという願望。これは私が説明するまでもなく、皆さんも一度は考えたであろう願望ではないだろうか。
    本作における入れ替わりの効能を考えると、究極の相互理解というものがある。相手の肉体になって、その人の生活する環境を体験して、その人生を五感で体験するというのは究極の理解と言える。心は本人のままだから相手を本質的に理解出来ないと言われればその通りだが、人間形成に生まれ育った環境は深く影響するのは言うまでもなく、それを疑似体験するのは、嫌悪であれ好意であれ、短時間でその人間を理解する究極の理解である。

    4.神の意志と人の意志
    この作品は巫女である三葉と一般人である瀧が起こすいわゆる奇跡のストーリーであるが、神の意志と人の意志がそれぞれに作用して物語となっている。
    物語の主軸は神が引き起こすもので、糸守村に彗星が落下することなど神は当然に理解しているわけであるが、その最中に巫女である三葉に機会を与える。何かやってみろと男女の肉体を入れ替えるのだ。彗星の軌道をそらすという選択肢は取らない。
    三葉は種族として刻みこまれた能力と一人間としての心があり、その二つが合わさって行動を起こす。それに対して瀧、そして瀧を取り巻く人間達、さらには三葉の友達である勅使河原や名取、この者たちは人としての意志で行動する。この結末が神の考える結末と等しいものであったのかどうかは分からないが、とにかく男女の恋愛と友情が多くの命を救う奇跡を引き起こした。

    5.音楽について
    映画音楽というとフルオーケストラの壮大な音楽や、テーマ部のメロディーが印象的な楽曲というのが、伝統的映画音楽概念である。しかしこの映画の音楽は極めて素朴な音楽で組み立てられる。
    90年代のオルタネイティブロックと00年代のポストロック的なアプローチが見えるバンドサウンドの中にしっかりと詰め込まれているのは疾走感。その疾走感から感じるのは恋が走り出した時のスピード。疾走感溢れる楽曲群の中に三葉と瀧を突き動かす恋のスピードと途方もないパワーが漲って、作品に躍動と誇張なきリアル感を与えている。

    6.使い古されたモチーフたち
    男女の入れ替わり、タイムスリップ、田舎の少女と都会の少年、大人対子供、こういったいわば使い古された青春ドラマの材料を用いている点はやはり面白い。映画にしろ音楽にしろ全く新しいものなんて無い。誰かがギターを初めてアンプに繋いで、誰かが映像に音を初めて載せて、音楽や映画は進歩して来た。これは制作する側に意図は無いと思うが、この作品の一つのテーマとも言える「繋がる」というものが、使い古されたモチーフが大胆に取り込まれ、そして新たな命を宿すことによりさらに伝わるものになったと思う。

    7.バベルの塔と「君の名は。」
    バベルの塔は旧約聖書にある話で、人間たちが神への挑戦とも言える高い塔の建造を始めたことに神が怒り、人間たちの言葉を乱しコミュニケーションを断絶してその行為に制裁を加えたというものである。
    「君の名は。」において神が直接介入する場面がいくつかあるが、二人の記憶からそれぞれの名前を消し去るところが最も直接的に介入している。つまりそれぞれがこれ以降、全くの他人として生きることを神は望んだのだ。
    しかし地に崩れ堕ちたバベルの塔と相反して、三葉と瀧の想いは導きあい再び巡り合うのである。これで恋には神ですら介入出来ないなんて考えたら制裁を受けるのだろうか?

    8.作品と私たち
    「なんでこんなに都合良く物語が進むんだ。」「あの状況を不自然に感じないのか?」なんて具合にひたすら違和感を感じた方もいるかも知れない。
    人類の進化を支えたのは理であり理屈かも知れないけど、エンターテイメントに身を投じるときは理屈に注意を向けると主題を見失う時がある。もちろんその主題に何ら感じない事も多々ある。しかしながら何を伝えたいのか、その主たるメッセージに耳を傾けるのは、日常においてもエンターテイメントにおいても大切な事だ。
    こんな長々と書いておいて何だけど、批評家みたいな気持ちは捨てて、愛する人間に相対するように作品と向かい合うことで、作品の魅力が引き出せるように私は考える。
    そんな中で作り手と受け手が一本の紐で繋がって、相互の生き方に作用するような出来事が生まれるのかも知れない。
    この映画における二人のように。

  • 外山大輔(トヤマダイスケ)外山大輔(トヤマダイスケ)
    秋元康
    外山大輔プロデュース公演をやっていいよ。1000曲以上あるAKBグループの楽曲の中から、16曲を選んで(自分の曲だけじゃなく)、こんな公演があったらいいなというセットリストを作るんだ。メンバーもいこの人にこの曲をやって欲しいとリクエストして。ダンスパートを作るとか、バラードをどこで入れるか?牧野や松本と相談してください。AKB48愛に満ちた公演をお願いします。

    えーーーーー💦💦

    1
  • マルチェロマルチェロ

    《歌割りの魅力》

    歌割りというと序列・ポジションの意味合いが強いが、楽曲においてとても影響力のあるものに思う。
    私自身が歌割りの魅力や効能について気が付いたのは、ある世界的大ヒット曲がきっかけだった。その曲はライオネル・リッチーやマイケル・ジャクソンが主導したUSA for AFRICAプロジェクトの「We Are The World」である。
    ライオネル・リッチーから始まって、スティーヴィー・ワンダー、ポール・サイモンという具合にバトンが渡されるヴォーカルは圧巻で、ジャンルや年代を超えたアーティストの不思議な一体感に胸が熱くなった。
    とにかくそれぞれの声が凄い。マイケルのクリスタルヴォイス、ブルース・スプリングスティーンのしゃがれ声、レイ・チャールズのソウルフルな味わい、シンディー・ローパーのパンキッシュな歌声などがクレヨンのように色鮮やかに楽曲を彩り、またその声が彼ら彼女たちの音楽性や生き様を物語っていて、とにかく楽しい。
    単に順番に歌ってるように聴こるかも知れないが、実は歌割りに相当苦労したみたいだ。あの曲を特集したドキュメンタリー番組を見た時に、ヴォーカルコーディネーターの方が考えに考え抜いた旨の話をしていたが、たしかに聴けば見事な仕事である。

    さて48、46グループ楽曲における歌割りについて考えてみよう。
    まずは何と言っても歌い出し、これはセンターの与えられる特権であり、おそらくは山の頂上から歌声見渡す爽快さとグループを背負う重圧が入り混じり、かつヴァージンスノーにシュプールを描くような気持ち良さがあるものと思う。しかしながら楽曲においてはとても大事な場面で、イントロからの沈黙を破って歌唱へなだれ込むこの一瞬は、曲の良し悪しを左右する重要局面だ。
    個人的には渡辺麻友のピッチが正確で抜け感のある声や兒玉遥のきゅんと甘酸っぱい声がとくに素晴らしいと思う。もちろん曲調とのマッチングがあって、ぴったりくる声もそれぞれである。
    歌い出しに続いてフロントメンバーが一人あるいはペアで歌唱みたいな感じで続いていく。サビに近づくほど序列が下がって行き、歌割りも短かめでサビは全員歌唱、概ねグループの歌割りはそんな感じだ。
    ところで皆さん、「この曲のここが好きなんだよなぁ」っていうのがないだろうか?たぶんあると思う。あの曲のサビに入る直前のところが好きとかそんなの。
    それって歌割りが絡んでいると思うのだ。もちろんメロディーの要素が大きいけど、歌唱している二人の声がメロディーを引き立ててたりするのである。切なかったり可愛かったり、時におバカだったり。
    例えば「365日の紙飛行機」。この曲の歌い出しはどうだろう?素晴らしいでしょ。山本彩が歌い出した瞬間グイッと引き込まれる。そこからだいぶ先に行って「やりたいこと 好きなように」のところ、ここは柏木由紀と入山杏奈ペアであるが、ちょっと鼻にかかった声に何か共感出来ちゃう。垢抜けない感じの普通にその辺にいる女の子の気持ちが感じられる。
    これはあくまで例であるが、メロディーは歌われてこそメロディーな訳で、メロディーを生かすも殺すも声次第、歌割の効能はプラスにもマイナスにも働く。

    ここでちょっと脱線、グループの声について書きたい。ここまでは個々の声とペアの声について書いたが、グループの声っていうのがある。サビで大合唱した時の声がグループによって違う。
    例えば初期のAKBなんかは、ルックスと同じでめちゃくちゃ素人くさい。ま、それが魅力でもあるが。それと反対に乃木坂46はとっても綺麗。これは奇跡のメンバーが奏でるハーモニーと言いたいが、やっぱり理由がある。
    乃木坂は合唱の伝統に沿った発声がしっかり訓練されている印象だ。腹式呼吸で綺麗な発声を各自が意識している。だから全員歌唱した時にとても美しい。これはアイドルとしては新しい歌唱スタイルに思う。
    でSKEはどうなんだという声に応えると、これは泥くさい(笑)何かこう地べたを這ってますみたいな迫力がある。あかりんなんて空気椅子しながら歌ってるみたい。いや、これは褒め言葉。
    ちょっとふざけたが、特にサビで発動するグループの声にはグループの色ががっちり出ているのだ。

    まとめに掛かると、歌割りは単にセンターが誰とか序列がどうではなく、歌詞やメロディーと各メンバーの声の組み合わせにより、楽曲の魅力を引き立て、時にドラマティックに、時に等身大のリアリティーを演出する重要でとても興味深い役割を担っている。
    数ある楽曲の中にも、そのメンバーそのメロディーじゃなきゃという組み合わせの妙たる一瞬がたしかにあって、私たちにはそんな宝探しのような特権が与えられているのだ。
    そんな事を考えていると、それぞれの曲がさらにまた愛おしくなって来るのである。

    6
  • 秋元康秋元康
    マルチェロ
    リトークありがとうございました。 48、46の楽曲は膨大な数に上るので、つい忘れてしまいがちですが、一曲一曲、一節一節に心が入っていると思います。耳を澄ませば色々と浮かんで来ます。 これからもずっと聴き続けては想像をめぐらせていきたいです。いつも素敵な楽曲をありがとうございます。

    歌割りに関する素晴らしい考察、ありがとうございました。AKB48グループの歌割りは、ディレクターの田中博信が考えてくれています。田中がいないと、何もできないくらい、優秀なディレクターです。

    3
  • マルチェロマルチェロ
    外山大輔(トヤマダイスケ)
    アメリカの音楽プロデューサーにロス・ロビンソンというオッサンがいますが、アタマのイっちゃってるプロデューサーです。ボーカルディレクションの際はボーカリストに椅子を投げたりして本気で怒らせます笑。その怒りの矛先をマイクに向けさせるという手法を使います笑。まさにパンクの真空パッケージ!笑

    椅子投げる(笑)
    まさか仮歌録りで外山さんまでその手法を…それはないですよね。
    でも本気なんでしょう。最高なものを作る!という気概がそうさせるのでしょうか。