みう
トーク情報- みう
みう もう2週間近くも前だけど、舞台嫌われ松子の一生赤い熱情篇見てきた。
玲香ちゃんの演技はもちろん他の役者さんもとても素敵で見入ってしまった。
圧倒されるような演出や舞台の雰囲気とぴったりな音楽にも魅了された。
太宰治の小説の引用だろうか言葉の使い方がとても美しく一言一言に鳥肌が立つほどだった。「生きてさえいればいい」、「疑いながら試しに右へ曲がるのも、信じて断乎として右に曲がるのも運命は同じことですどちらにしたって引き返すことは出来ない」知ってる人も少なくないだろう、お伽草子の引用である。
舞台中にも"美しい"と"綺麗"の違いを問うている場面があった。なるほど八女川は嫉妬されるわけだ。誰もが唸るようなそれこそ"美しい"解釈だったと思う。
その八女川は(羨ましい事に)松子に愛されながら死んでゆく。それも作家としてこれ以上ないほどのこれまた"美しい"死にかたなのではないか。若く、才能に溢れたままその才能に溺れ死んでゆく。なんとも印象的な人物だった。
それに比べ小野寺はなんとも身勝手な男であろう。松子に惚れ込み引き抜きながら、松子に飽きればすぐにほかの女に貢ぐ。それも松子が稼いだお金をだ。見に行った方は例外なくこの男を忌み嫌っているのではないか。なにせ挙句の果てにはシャブにまで手を出す男である。
小野寺と正反対の性格の持ち主赤木。トルコ風呂のマネージャーをやりながらもとても誠実な人間であったと思う。事実トルコ嬢には愛されていた様だ。ただ自分では分かっていなかったようだ。彼もまた松子に惚れ込んだ男のひとりであるが松子に気持ちを伝えずに去ってしまった。
次は島津賢治。ひょんなことから松子に出会い、これまた松子に(これまた羨ましい事に)愛された男のひとりである。(他を否定する訳では無いが)唯一と言ってもいいほどまともな職業に就いている人間である。ただし松子といた時間は1番短かったのではないか。婚約して間も無く松子は警察に連れて行かれてしまう。「私の事は忘れて」ありがちな台詞ではあるが松子が島津に言った最後の言葉である。何もその通り忘れる事はなかろうに、島津は律儀にも松子の約束を守ってしまう。松子と結婚出来たかもしれないというのになんとも惜しい男だ。
さて、満を持して松子の人生を大きく変えた男、龍洋一。なんとまぁ彼も松子を愛していた故に松子を壊してしまった。自分を見てほしい。幼い子の考える事であるが龍洋一の場合は生半可なものではなかった。その歪んだ愛が松子の人生を狂わせた。しかも1度ではない。自分の思い通り松子に愛されながらも、松子の寛大さに恐れ松子から離れていく。
誰もが気づいていることではあろう。八女川と龍は同じ理由で松子から離れていく。方や自殺、方や拒絶。あなたが松子なら耐えることができようか。
数々の悲劇を味わい松子は廃れていく。
「神なんていない」「もう誰も愛さない」叫びながら死に絶える松子に涙が止まらなくなった。
この舞台は最後の最後まで考えさせられた。「神はいない」と言っていた松子の中に神が宿っていた。松子自体が神なのである。神は他人に愛を与えることは出来ても自分を愛することは出来ないのであろうか。そもそも神とはなにで本当に存在しているのか。柄にもなく考えさせられた。
本題のテーマは愛であろう。しかしそれだけではなく多くのことを考えさせられた舞台であった。
舞台を見た人も見ていない人も是非原作を読んでみてほしい。素晴らしい作品である。
長々とつまらない、下手な感想を書いてきたがこのへんにしようと思う。疲れてきた。
要約すれば原作を読めってことである。