修治のトーク
トーク情報修治 No funNo fun 「人の顔色伺って、機嫌とって。そんなつもりも時間もねーよ」
たぶぅーさんと修治さんのトム談義や、その後のタイプライターのリトークで刺激され、久しぶりに観た。
この作品にはトム・ウェイツがファンの一人として出演していて、真面目に質問に答えたり[ラフィング・ハート]を朗読しています。
映画の内容ですが
インタビュー中にリンダ夫人と口論になり、その後に本気で蹴飛ばしたり、講演会の前に悪酔してしまい上手く行かなかったあと、「お前が安物のワインを飲ましたせいだ!」と怒鳴ったり。
〝オールドパンク”そのものってシーンも多いけれど、執筆した作品からは想像し難い、繊細さを含む飾りっ気なしの素直な言葉も多い。
「好きな作家がいたら全集を読め。更に書簡集や対談まで全て読む事を薦める。そうする事で作家本来の姿が浮き上がる」は「文は人なり」という名言を吐いた人の言葉です。
しかし、複雑で繊細な作家(=人間性)の場合は、これだけじゃ足りないと思います。
この作品は故人を聖人化する気が全くないので好感が持てる。
故に、何度も観る耐えられるドキュメンタリーの一つ。- 修治
修治
長渕が上半身裸でメシ食ってるインスタに、イタいだのキモいだの言ってる人が多いらしい。長渕の肉体アピールは以前からだし、別に良いじゃないか…と思うのだが、なんなんだろなアレは?
自分の人生にかすりもしない所で、つまり全く関係無いところで、よく人様のSNSにどうでもよいコメントなんか出来るよな。
見ないorスルーとか出来ないんだろか?
身体鍛える様な事は一切ヤらず、酒飲んでYouTube観たり、TVドラマ観たり、SNS見たり、野球やサッカーやボクシング観て肉体を衰えさせているだけの人よか、よっぽど良いだろ。そんな連中じゃ、上半身裸になれないでしょ、貧相でみっともなさ過ぎるからw
だいたいが、逆に長渕が服着てメシ食ってたら、何の話題にもならないんだから、アンチコメントしてる人にも影響力はあったわけだしね。 修治 修治修治 自分が中高生の頃は、例えば読書でいえばドストエフスキーやトルストイを読むのは必須の〝たしなみ〟だったわけです。
これらを読まずして読書が好き...などと言うと『へぇ〜君読んでないの?』なんて言われたり、黙ってそっぽ向かれて小さく笑われたり😅
こういった一種、因習の様なものが良いか悪いかは別にして...本当に良いものは押しつけの様な形であっても経験させる。
要するに有名作家の古典の様な作品は名前が先行して、何となく小難しそう、といったイメージなのです。実際に自分もそうでした。
そしてコレを払拭させるには、まず読んでもらわなくては始まりません。
読めばその内容は素晴らしく、それが何十年前、100年前に書かれたものであろうと、その中身は全く色褪せておらず、現代の私達が考え・思い悩む事と何も変わらない事に気づきます。
映画『Баллада о солдате』原題は兵士のバラード。邦題は『誓いの休暇』はソ連時代に制作された映画で、映画好きな人でも知る人は少ない埋もれた名作です。
人に強く薦める事はありませんが、自分は特に好きな作品で、ロシア人気質をよく観てとれます。
そして上に書いたドストエフスキーの作品の様に、ソ連・ロシア映画が好きな人ならば必須のたしなみといえる映画なのです。
私はこの作品と『Москва Слезам Не Верит/モスクワは涙を信じない』『ЧАСТНАЯ ЖИЗНЬ/解任』の3作品が特に好きで、この作品達でロシア語のトレーニングを昔よくしました。
あぁ、こんな風に発音するのか...とか、こういうシチュエーションで言うフレーズなんだな...なんて。
ちなみにЧАСТНАЯ ЖИЗНЬは邦題は解任となっていますが、私生活という意味のロシア語です。モスクワは涙を信じない、はロシア語そのままです。
元々ロシアの格言ですからね。〝泣いていたって誰も助けてはくれない〟というロシア人が好きな格言です。
私もべガーズさんと同意見で、こういう作品を配信で観れないならば、どんどん日本の文化的教養の水準は、下がる一方だと思います。いや、もうびっくりする位に低くなっていますけれど。