ジョージのトーク
トーク情報桝田祐司 ホワイトホワイト 勝者には何もやるな
全8巻の『ヘミングウェイ全集』を若い頃に買って、繰り返し読み漁っていましたよ。いまでも俺が座右の銘にしているのは、その『ヘミングウェイ全集』の第1巻に収まっている小説のタイトルで、「勝者には何もやるな」という言葉。その小説の始まりにこんなエピグラフが載っているんですよ。
「他のあらゆる争いや戦いと違って、前提条件となるのは、勝者に何ものをも与えぬこと――その者にくつろぎもよろこびも、また栄光の思いをも与えず、さらに、断然たる勝利を収めた場合も、勝者の内面にいかなる報償をも存在せしめないこと――である。」
(三笠書房刊『ヘミングウェイ全集 -第1巻-』谷口睦男訳)
それは、これからがんばって生きていこうとする若い自分に対して、非常に激烈なメッセージでした。いまでも俺は「勝者には何もやるな」という言葉をデスクの蛍光灯の上に書いて貼っていて、自宅の書斎の机にはこのエピグラフの言葉も貼って、ことあるごとに読み返しているんです。ヘミングウェイが「勝者には何もやるな」と言ったときに、それは、単なる勝ち負けの話じゃなくて、自分があらゆるバーを超え、あらゆる努力をして何かを勝ち取ったときには別にもう何もいらない、という意味になる。ホント、いまでもこの言葉は力になりますよ。
オリバー・ストーンが昨年撮った映画『エニ-・ギブン・サンデー』の冒頭に、偉大なアメリカンフットボール選手の言葉が出てくる。たしかこんなフレーズだったな……。
「男にとって最高の時とは全精力を使い果たして試合を戦い、勝ち、立ち上がることができなくてへとへとに疲れてグラウンドに倒れているときである」
その言葉が流れたあと、いきなり肉体と肉体がクラッシュするシーンから始まって、最後は非常に精神的なドラマで終わる、そんな映画なんだけど、じつはその映画のPRのために(配給会社から)コピーを書いてくれって頼まれてね。それで俺はこういうコピーを作ったんです。
「肉体がクラッシュする衝撃の幕開けから精神がスイングする感動のラストへ。勝者には何もやるな。その神の声を、あなたは劇場で聴くことになる」
「勝者には何もやるな」って結局そういうことだと思うんだよ。実際そのようにヘミングウェイは生きたと思う。小説よりも何よりも、現実のなかでそのように生きたんだよね。たるみあがった肉体の中でも常にファイティングポーズをとっていたし、女を愛し、旅を愛し、酒も愛した。彼の書いたものっていくつも読んだし、慕った。でもそれよりも彼の生きた生活の跡、人生の跡、たとえばダイキリのレシピ、朝はブラッディマリーを飲むそのライフスタイル、闘牛やボクシングにかける情熱、戦線に出向き、猟に向う男らしさ、光と影、官能と死をくっきり分ける生き様、そんなものにずっと憧れていましたよ。同時に、彼がいつも抱えていた生きることの淋しさ、切なさもまた、残した言葉や写真から匂いを感じとろうとしていましたね。
ヘミングウェイは、自殺する2、3ヵ月ほど前に友人のホッチナーに手紙を宛てている。その中で彼は自分の肉体が意思通りに動かなくなったら人間は生きていても仕方ない、というようなことを書いているんです。そして実際に、静かな河口のボートの上で自らの手でライフルの引き金を引いて死んでいった。激烈な生と激烈な死という、光と影をくっきり浮き立たせて生き死んでいったんですよね、彼は。
ハードボイルド(小説)ってヘミングウェイから始まっていると俺は思うよ。自分ひとりで生きる意味を引き受けるということが、『老人と海』を読んでもよくわかる。カジキマグロとの闘いという、ただそれだけの出来事のなかで生きる意味を引き受ける。空虚に裏打ちされた、生きる意志。彼の人生は、全てそれでしょ。
じつはね、俺はヘミングウェイに憧れて肉体を作ったんです。27歳くらいから37歳くらいまでの10年間、1週間に1回休むだけで毎日ウェイト・トレーニングをやったわけ。いわゆるボディビルですよ。バーベルベンチプレスで120キロを持ち上げる、それはもう凄くハードな闘いの日々なんだ。1日目は胸とトライセップス(三頭筋)の日。2日目は背中とバイセップス(ニ頭筋)の日。3日目が肩の日という具合に。で、毎日、腹筋とスクワット。3日やって1日休むというローテーションで、食い物も制限してビルドアップしていたんです。桝田祐司 ホワイトホワイト ヘミングウェイに刺激されて、体がきちっとしてなければ、意志もきちっとしないということを常に思っていたんだね。トレーニングしているときに、いつも自分の中で呟いていたのがここでも「勝者には何もやるな」。体をビルドアップするということは、速いピッチャーがくればどんなに凄いバッターでも三振するのと違って、自分が苦しんだら苦しんだだけMAKE A FRUITSできるんです。必ず結果が出るわけ。苦しめば若しむだけ筋肉はちゃんと発達する。そんなはっきりとした結果が出るものってないよ。それは誰のためでもない。際限のないものでもあるんだけど、あの10年間というのは、体を作り続けない限り俺はもっと前へもっと前へと闘っていけない、そんな意識がありましたね。「勝者には何もやるな」と言い続けるためにも、やる以外なかったんですよ。トレーニングが終わり、シャドーボクシングしながらこれで俺はまた闘えると思う気持ちのよさ、「勝者には何もやるな」と呟いたときの充実感というのは、何ものにも代え難いと感じられた。だって、それをやらなければ、もう気が狂いそうになるんだから。猛烈にたるみきった気がして、精神も肉体も。まずその3時間をきっちりと決める。で、残りの時間を仕事や女に振り分ける、そんな毎日だった。でもね、俺はその10年間がもっとも激しく仕事ができた。精神のスイングも大きかった。あの10年間の余韻で今生きているようなものですよ(笑)。生きるっていうのは、俺にとっては空しくて切なくて、とても辛いことで、いつも怯えが伴うというか……。それを誤魔化すために人は恋愛をしたり、仕事に打ち込んだり、宗教にはまったり、家族を愛したりするんだろうけれど、結局はひとりで死んでいくしかないわけで。俺の場合、そういった怯えを誤魔化して、生きていく上での最良の糧になるのは「勝者には何もやるな」。この言葉を繰り返すことに尽きるんですよ。仕事だって空しさを埋めるものにはなり得ないよね。どんなにうまくいこうと、どんなに闘っていようと、空しいよね。ヘミングウェイもずっとそうだったと思う。
結局、俺は自殺すると思う。いつなのかは分からないけれども、自殺すると思いますよ。だからヘミングウェイが自殺した時の気持ちってすごく知りたいよね。何故、ライフルにしたのか。何故、足で引き金を引くことを選んだのか……。やっぱりその方法がもっとも激烈な終わり方だったのかな。
俺は臆病だからね、死ぬのが怖いんですよ。それを埋めるものって何ひとつないんだよね。すごくいい女と****してたり、ビジネス上のある種の成功によって瞬間的には埋められるだろうけど、その瞬間が離れるとまた日常は茫漠として続くわけで。気がついてみると18歳が25歳になって30歳が40歳になって、たちまち50歳になっているわけでしょ。そうすると、あと20年かと思うわけじゃないですか。それに耐えきれるかっていわれると、俺は自信ないね。ヘミングウェイは少なくとも自らの命を彼らしく自分で閉じたわけで、その事実は俺にとっては凄く重要なことなんです。自殺はしちゃいけないとか、自殺はカッコ悪いとか、そういうレベルの話じゃない。「勝者には何もやるな」と言ったひとりの男が、自分で自分の幕を引く。その行為自体が俺には決定的に重要なんです。
全て「死」ですよ、ヘミングウェイの小説のテーマは。自分がどんどん老いていく、たるみあがっていく、シミが増えてくる、シワも増えてくる、髪が白くなってくる。成熟して芳醇になっていく姿は俺たちから見ればカッコいいけれど、彼にとってはそうじゃない。放つパンチが緩慢なスピードになっていく、獲物を仕留めるときにも狂いが生じてくる。その老いの恐怖を埋めるためにずっと小説を書きつづけ、戦争にも行き、闘牛にも魅せられて強い男であろうとしてきたわけ。でも、60歳を前にしてついに埋められないところまで来たわけでしょ。自己嫌悪の塊だったと思うし、来るべきものがついに来ているという、死に対する覚悟だったんですよね。老いればみんなそうなっていくわけだからね。三島由紀夫はそんな自分を見る前に逝っちゃったけどね。
臆病だからこそ、俺は激烈に生きていないとたまらないんですよ。もしも失敗したら会社が潰れるってくらいのことをやってないと、空しさや怯えを埋められないんです。もし、何もかも打つ手が上手くいって、もうそろそろ守りに回った方が経営者としてはいいよと言われたとしても、俺はきっとそういうふうにはならないと思うよ。
そのときは、もう、経営者を変えてもらうしかないでしょうね。桝田祐司 吉田真悟吉田真悟 柴田哲孝著『暗殺』
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本当に“彼”が、元総理を撃ったのか?
日本を震撼させた実際の事件をモチーフに膨大な取材で描く、傑作サスペンス。
奈良県で日本の元内閣総理大臣が撃たれ、死亡した。その場で取り押さえられたのは41歳男性の容疑者。男は手製の銃で背後から被害者を強襲。犯行の動機として、元総理とある宗教団体とのつながりを主張した――。
日本史上最長政権を築いた元総理が殺された、前代未聞の凶行。しかし、この事件では多くの疑問点が見逃されていた。致命傷となった銃弾が、現場から見つかっていない。被害者の体からは、容疑者が放ったのとは逆方向から撃たれた銃創が見つかった。そして、警察の現場検証は事件発生から5日後まで行われなかった。
警察は何を隠しているのか? 真犯人は誰だ?
著者について
1957年東京生まれ。日本大学芸術学部中退。2006年『下山事件 最後の証言』で日本推理作家協会賞(評論その他の部門)と日本冒険小説協会大賞(実録賞)、07年『TENGU』で大藪春彦賞を受賞する。著書に『下山事件 暗殺者たちの夏』『GEQ 大地震』『リベンジ』『ミッドナイト』『五十六 ISOROKU 異聞・真珠湾攻撃』『赤猫』『野守虫』『蒼い水の女』『ブレイクスルー』『殺し屋商会』などがある。