#こうして私はいじめられた
「インスタ映え」とは
#長文注意
インスタ映えとは非常に捉えにくい言葉だ。
語義自体が非常に抽象的であり
そして主観と不可分であるからだ。
例えば自転車のサドルの写真を撮ったとしよう。
多くの人は
(よほど日常的に自転車が趣味、ないし日曜大工が趣味とかでない限り)、なんとまぁ映えない写真だ
ということになるだろう。
しかしその写真が「映えるか」、「鮮烈な印象を与え得るか」、「好印象を抱く写真であるか」は写真を撮影した人の主観に大きく依存する。
つまり、その撮影主体の人は、自転車のサドルをこよなく愛し、それに計り知れない美しさを感じている「可能性」もあるということだ。
要するに「インスタ映え」の定義は「インスタを撮影する主体」の共有する時間・空間によって常に変動し
従って昨日まで何の気なしに見ていた風景が、今日から映えることもあるだろう。
分かりやすく例を挙げてみよう。
多くの人から認知を得た「人気映画」とひて映画「君の名は」がある。
その「君の名は」の風景にはモデルとなった場所があるのは有名な事実だ。
「君の名は」に限らず、映画など何かのコンテンツに感銘を受けた人たちがその背景となる場所を訪れることを
「聖地巡礼」と称することがある。
さて、この撮影主体(聖地巡礼をする人)にとって、映画を見る前までは何の興味もなかった、「インスタ映えする」とは似ても似つかない状態だった1地点が
映画を見たことで、お金と時間をかけても行きたい、魅力的で「インスタ映えする」場所になったわけだ。
結局
インスタ映えはやっぱり主観、及びその主観を取り巻く周辺環境に大きく依存するのだから、
(従って自国では良いとされないことが、異国の人には映える写真等もあり得る)
承認欲求、自己満足の延長といった要素(もちろんそれだけじゃないだろうが)
も否定できないのではないか。
#世の中みんなヲタ説
#こうして私はいじめられた