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橋場日月

天平9年(737)4月、またも太宰府管内の九州諸国で疱瘡発生。医薬が配られたが疫病の勢いは衰えず、貧しい患者には賑貨がおこなわれたが、6月にはついに朝廷も伝染病の波に飲み込まれた。 朝議も開催できない前代未聞の状況。 当時の政界を牛耳っていた藤原四兄弟(不比等の子)も、まず房前(ふささき)が4月17日、麻呂(まろ)が7月13日、武智麻呂が同25日、残った宇合(うまかい)も8月5日に疱瘡の犠牲となった。

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