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橋場日月のトーク
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  • 橋場日月
    橋場日月

    それでは、桶伏仕置きが無くなったのは見せしめ効果による無銭飲食の絶滅によるものやだろうかというと、そうではない。

  • 橋場日月
    橋場日月

    早い時期に「桶伏」が消滅したのは、何日も懲罰しても肝心の回収にはつながらない、回収できるまでのタイパが悪い、という至極ごもっともな理由からだったろう。

  • 橋場日月
    橋場日月

    見せしめ自体も裏を返せば他の客の浪費意欲を萎えさせるという逆効果を生むものでもあった訳で

  • 橋場日月
    橋場日月


    承前。
    では桶伏に変わって登場した遊興費回収のシステムは何だったのか。
    それが「付け馬(付き馬)」だ。回収者が債務者の家まで付いて行き、金銭をひっぺがしていく。これなら短時間がらちがあくというものだ。

  • 橋場日月
    橋場日月

    そもそもは馬に揺られて江戸市中と吉原の往復する遊客の、その馬の馬子に依頼して代金回収させていたというが、馬子の仕事に従事する者はもともと定着率も低かったのだろう、代金を横領持ち逃げされるケースが多く、妓楼や茶屋が直雇いした者を債務者に付けて家まで回収に行かせるようになったと言う。名称は「付け馬」のままで。

  • 橋場日月
    橋場日月

    「付け馬」といえばテレビ時代劇で「付け馬屋おえん事件帖」、漫画で石ノ森先生の「さんだらぼっち」があるが、まぁ話のネタには事欠かなそうな職業ではある。

  • 橋場日月
    橋場日月

    とはいえ、払えないのに吉原で遊ぶぐらいのどらだから、なかなか付け馬の手に追えない手合いもいる。それに対して生まれたのが、ドラマにもなった「付け馬屋」だ。

  • 橋場日月
    橋場日月

    いわばプロの回収屋が、おそらくは現代の「ナニワ金融道」以上のコワモテぶりを発揮して涙涙の不払い男から代金を取り立て、手数料を取った残りを妓楼や茶屋に渡した。