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橋場日月

今から451年前の永禄12年3月9日(1569年4月9日)宣教師のルイス・フロイスは京で織田信長と初めての面会に臨むため堺を出発し、午後には摂津国富田に着く。 ここは浄土真宗の道場(現・教行寺)の寺内町として繁栄する土地だったが、フロイスはなぜか町に入らず外れの宿に泊まった。 「同所にては短日内に生命を消耗する一種の疫病のため千人余死したるをもって」 の措置だった(『耶蘇会士日本通信』)。  一行は発生エリアから距離をとり、翌日雨が降ると一行を援助する信者の高山友照(右近の父)は芥川城に一行を導き一晩中さかんに火を焚いてフロイスらをもてなす。  このあとフロイスは無事信長への拝謁を果たすのだが、今回のポイントはふたつ。 まず、感染症の発生源に近寄らず、体温が下がらないよう温めて免疫力を維持する。彼はこの2点を実行して伝染病罹患を回避したわけだ。 体温については、外部の熱源による暖房効果も大切だが、内部から、つまり摂食による保温も重要。 貝原益軒の『養生訓』に「羹は熱きに宜(よろ)し」「あつ物、只(ただ)一(ひとつ)によろし」とあるのは、羹(=あつもの=当時のスープで、肉や魚ではなく野菜を具にするもの。同じ〝あつもの〟でも肉や魚を具にするものは臛と書く)が至高の健康食だと教え、特に「乾燥野菜を煮て食べよ」「煮て干した葉をスープにして食べよ」と益軒は細かに指示してくれている。

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