見城徹見城徹 ⬆︎ やっと、番組を一緒にやっている人が書いた告知になった。ちょっとした想像力と、番組に対するこだわりと愛情があればこんなに良くなる。前の告知はおざなりだった。この文章を書いた君は仕事をするとはどういうことかをもう一度しっかり考えて、胸に刻んで欲しい。何で君を僕は番組スタッフとの食事会にも加え、毎回、楽屋でも話し、電話で連絡もし合い、芝居にも招待しているのか?君が所属する会社のトップと僕の間に強い信頼の絆があるからだ。尊敬と愛情があるからだ。それに泥を塗る君の仕事ぶりを僕はずっと我慢して来た。一言で言えば君は他者の気持ちが解らない。もっと想像力を巡らせてヴィヴィッドに動けよ。もっと仕事に愛情を持って精一杯の努力をしろよ。いつも自己検証を心掛けて、自分に厳しくなれよ。何で安定し、高年収の前職を投げ打ってこの世界に転職して来たのか?「徹の部屋」が初めてのレギュラーの仕事だろう?僕がどれだけ新米の君に配慮し、モノを言って来たか、もう少し真剣に考えて欲しい。
相手の心を掴めなければ君が憧れたこの世界は生きて行けないよ。今までの君は鈍感過ぎる。小さなことにクヨクヨしろよ!
たけしんのトーク
トーク情報たけしん たけしん 大石絵理大石絵理 皆さま、徹の部屋今週もありがとうございました🙇♀️
徹の部屋に出られて、私らしさを他の番組では出せない角度から、見てもらえるようになったと思います。大物ゲストの方や、尊敬する見城さんから、いつもたくさんの勉強をさせていただいています。自分の中にあるちっぽけな葛藤や悔しさを、大社長見城さんが見つけてくださって、私の人生に転機が起こりました。見城さんはいつでもまっすぐで、ズカズカと土足で心の奥まで踏み入れて下さります。笑(いい意味です。)私は傷つくことを恐れて人と深く関わることを怖がってしまいがちなのですが、自分も気づいたらすっかり心を開いていました。おかげで生意気な小娘だと見抜かれていますが、変わらずよくしていただいています。笑 こうして、色んな方々が見城さんについていくのだと、日々実感します。これからも、こんな私ですが、よろしくお願いします。🙇♀️たけしん 有本 香 Kaori Arimoto有本 香 Kaori Arimoto 今日発売の夕刊フジに寄稿した内容をここに貼ります。新聞テレビはこの怖ろしさを伝えない。世論調査では「小池案」を支持する人が多いようですが、私たちの民主主義のシステムは小池百合子によって確実に壊されていっています。
《首都大崩壊》
東京都の小池百合子知事が20日午後、緊急会見を開き、築地市場の豊洲新市場への移転について、豊洲に市場機能を移転させたうえで、築地にも市場機能を残して再開発するーと表明した。将来的に「築地に市場を戻す」ことを視野に検討する方針だという。
その理由を、小池氏は「築地市場の価値は、都の莫大(ばくだい)な資産。築地ブランドを維持、活用すべきだ」などと説明した。
これをメディアは、「23日の都議選告示を前に、全国の注目を集めた市場移転問題が決着した」(毎日新聞)などと伝えているが、一体どこが「決着」なのか。
小池氏は問題をさらに複雑化させた格好だが、この救いようのない愚策を「決着」と伝えるメディアに、まず、あきれ果てる。
小池案の問題点を列記しよう。
①法令無視の危険性
東京都に限らず、中央卸売市場は、国の法律(卸売市場法)にのっとって開設が認可される。同法第9条2項に基づき、自治体の条例で業務規定が定められ、そこに市場の名称と位置が定められている。
現在の東京都中央卸売市場条例では、築地市場含め認可された11市場が明記されており、豊洲に移転すれば、築地を豊洲に置き換えられることになっていた。国の認可が必要な市場を、小池氏の「思い」で11から12へ増やすことなどできない。額面通りとれば、「築地に市場機能を残して再開発」などできるはずがない。
②議会軽視
昨年8月末に市場移転の延期を発表したときと同様、この重大な意思決定に際し、議会に一切諮らなかった。二元代表である地方自治システムを無視した小池氏の「独断」スタイルは、またもや由々しき問題である。
③費用の問題
小池氏は、豊洲市場の建設費が「6000億もかかった」と、ことあるごとに強調し、あたかも過去の都政に問題があったかのように煽ってきたが、実はこの6000億円には私たちの納めた税金は1円たりとも使われない予定だった。
小池氏の知事就任のはるか前から、都のウェブサイトに書かれてあるとおり、6000億円は市場会計の資金のほか、企業債と築地の跡地売却費用で賄われる計画だった。築地を売却せず、さらに整備費を投じる二重投資となれば、資金計画は一体どうするのか。市場会計で足らなくなり、私たちの税金で成る一般会計から資金が注ぎ込まれはしないのか。懸念が強まる。
④東京五輪への影響
5年をめどに築地再整備というが、五輪の公約道路である環状2号線の建設はどうなるのか。大会期間中に必要な、バス3000台の駐車スペースはどう確保するのか。
あまりにも曖昧模糊とした小池案だが、10カ月も「検討」を重ねた「総合的判断」がこれなのか。この曖昧模糊とした案で市場内の業者の合意など得られるのか。しかも、安全な豊洲市場に、追加対策まで行うという。
地下水を環境基準以下にするという過剰な約束は、舛添要一前知事の「安全宣言」で軌道修正されている。それを無視し、法令との関係も、意思決定の手続き(議会諮問)も、費用も、東京五輪への悪影響についても何一つはっきりさせず、ただただ、都議選に向けた「案」を出す無責任の極み。改めて、小池氏の自分ファーストな「劇場政治」に危機感を強くするばかりだ。たけしん 見城徹見城徹 ↑ 読む時は、普通でいいと思います。
問題は書く時です。
どの言葉を使って、どう表現すれば、自分の想いが一番正確に伝わるだろう? それをやろうとすると胸を掻き毟りながら七転八倒します。何度も書き、消し、また書きます。難しい言葉を使う必要はありません。自分の想いを正確に書ければいいんです。それは自分の内面と対話する作業です。自分を認識し、自分を発見する作業です。苦しみます。「まあ、いいや」と適当な言葉でお茶を濁してはいけません。アバウトは禁物です。言葉と表現を絞り出す過程で自分がはっきりと見えて来ます。人生や仕事が上手く行かない人はその思考を放棄したした人です。
自分が見えないから、他者も物事の本質も見えて来ません。それでは何をやっても上手く行きません。
他者を想像する時も、自分が取り組んでいる仕事をしている時も、正確な言葉で対象を捉えましょう。そこから全てが見えて来始めます。
正確な言葉で思考する。
恋も成就します(笑)。たけしん 見城徹見城徹 ⬆︎ 言葉が正確ですね。言いたいことがこちらに伝わって来ます。文章を書くのは大概の人にとって面倒臭い作業です。苦しいからです。感想を書くのはもっとキツい作業になります。相手にとって「そうだ、そこを指摘して欲しかった」と思えることを書く。その上で相手に新しい発見や刺激をもたらす。褒める。または、心を込めて苦言を呈する。大変なことです。集中力を高め、想像力を駆使して、相手の胸の奥深くに届けなければなりません。トンチンカンなことを書けば逆効果です。だから、感想は書かない方が楽で、悩まないで済みます。だけど、キチンと書けば人間関係は格段に深まります。ビッグ・ビジネスが成立するかも知れません。人生も動きます。「感想は人間関係の最初の一歩」と僕はよく言いますが、感想こそ仕事や恋愛、そして人生の最大の武器だと僕は思っています。
「めがね」が僕によく拍手してくれたり、リトークしてくれているのを僕は知っています。[郵便屋さん ちょっと]を観てくれたのも知っていました。その感想も読みました。今回の感想を僕は物凄く嬉しく思います。胸に沁みました。たけしん 見城徹見城徹 削除されたユーザー憂鬱でなければ、仕事でない。 この言葉には当初、抵抗がありました。堀江貴文さんやユーチューバーなど仕事が遊びだという人を見て憧れていたからです。相反する考え方なのだろうとしばらくは思っていたのですが間違いでした。堀江貴文さんと見城さんからは同じものを感じるのです。情熱と圧倒的努力、魅力あるアイデンティティ。「憂鬱でなければ、仕事でない。」この言葉を理解したような気がしたとともにあなたが遠く感じますそうかなあ。
目標を容易に達成できないほど高く掲げれば、憂鬱になる。成功がイメージ出来るけど、そこに行き着くには面倒臭いことが沢山予想される人との付き合いは、憂鬱になる。これ、当たり前だよね。楽をして結果なんか出ない。スムーズに進んだ仕事は疑わなけれればダメだ。
自分がスムーズに進められた仕事は誰にとっても難しくないと考えた方がいい。なら、差は着かない。だから、憂鬱になることは大きな結果の第一歩だと僕は信じて来た。それは堀江も一緒だよ。誰も出来ないことをやり遂げるから、凄い結果が出るんだよ。「憂鬱」と「仕事を楽しむ」ことは矛盾しない。僕は憂鬱な仕事を楽しんで来た。不可能に挑戦してる、そう思いながら悪戦苦闘することは楽しい。結果をイメージしているからね。憂鬱でなければ、仕事じゃないんだよ。
僕は貴方の遠くにいない。むしろ、すぐ側にいる。弱い自分にウンザリしながら、それでも自分に鞭打って、匍匐前進しているんだよ。何度でも言う。出来るか出来ないか?ではない。要は、やるかやらないかだ。みんな同じだよ。たけしん 見城徹見城徹 削除されたユーザー眠り落ちる少し前。全力で闘った今日一日を振り返る。自己嫌悪に陥る。明日こそはと思う。翌日、全力で闘う。振り返る。自己嫌悪に陥る。見城徹も僕も、“なりたい自分”との誤差に苛立つ。そして思う。自分の努力が足りない。そんな全力で生きる人たちがここに集まる。だから、僕は毎日、ここに寄ってしまうのだ。このトークね最高の評価を有難う。わだかまっていたものがスーと消えて行きました。昨夜、寝る前に755をやっぱり止めようかと悩みましたが、もう少し続けてみます。毎晩、目指した自分との距離に愕然とします。それが生きるということだと解っていても、むざむざと過ぎて行く時間と、自分の中にある負の感情が許せないのです。僕は二十歳過ぎの時に、ある事件に出会いそれまでの自分を捨てました。俗世間と折り合いを付けて生きて行くと決めたのです。その覚悟が最近、時々、揺らぎます。それを忘れるためにいつも何かに熱狂していたい。それを忘れるためにいつも誰かを狂おしく愛していたい。とにかく、かつて自分で消したはずの空白を埋めたいんです。何だかおセンチになりましたが、死ぬまでは正面突破で突き進みます。後悔を少しでもなくすために。二十歳過ぎの自分への借りを返すために。内面の地獄を抱えながら弱音や愚痴一つも漏らさない秋元とともに生きていきたいと思います。有難う。