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幻冬舎箕輪 日報

⑥あの日のぼくはととのっていた。  文春砲をまともに受けて、僕はまともな社会生活が送れなくなっていた。 浴びるように酒を飲み、酒に溺れる毎日だった。そんな中、「ととのう」という言葉の意味を悟る奇跡的な瞬間を体験した。 「ととのう」とは、サウナ好きの間で頻繁に使われる業界用語だ。 まるで幽体離脱するかのように、意識が体から浮き上がる快感。その境地にたどり着きたくて、人は何度もサウナに通う。ただ僕は、サウナにととのうを求めたりはしていない。 しかしそんな僕が文春砲を食らい朝から晩まで酒に溺れていた頃、サウナではなく別の場所でととのったことがある。 ある真夏の日、静岡県掛川市へ旅に出かけた。財布をもっていくのを忘れたので友達に切符を買ってもらった。 掛川にいくと現地の人たちが酒をおごってくれた。スナックでひたすら酒を飲んでいると気がついたら寝てしまった。深夜に起きた僕は真夜中の掛川の町で独りぼっちだった。店員すらいなくなっていたスナックを後にした。  財布もクレジットカードももっていないから、ホテルに泊まることもできない。どうしようかと思いながら夜道を歩いていると、なんと路上に1万円が落ちていた。 この1万円札のおかげで、駅前のホテル「ドーミーイン」に泊まれることになった。  文春以降あまり眠れなかった。数十分寝ては目を覚ます。起きた時に、もしかしたら全て夢だったのではないかという気がするが、意識がはっきりしてくるにつれ、そんな期待は消えてなくなる。まるで変わらない現実を受け止めることで一日が始まる。 その日もほとんで眠れず朝5時前に大浴場へ向かった。 サウナと水風呂に軽く入って脱衣所に行くと、部屋からタオルをもってくるのを忘れたことに気づいた。ティッシュペーパーを数枚取って身体についた水滴をペタペタと吸い取った。 濡れたまま服を着て部屋に戻る最中に、部屋番号を忘れてしまったことに気づいた。 当てずっぽで部屋のドアノブにカードキーをタッチするも、赤色のままでロックを解除できない。寝ている人を起こさぬように丁寧にカードキーをタッチし続け、ようやくライトが緑色に変わり、自分の部屋に戻ってこれた。  チェックアウトまでまだだいぶ時間があるものの、二度寝する気が起きない。 外に出ると早朝とは思えないくらい強烈な日差しだ。1000円で買った安物のサングラスをかけて、駅前までトボトボ歩いた。何年も前からそこに座っているように、微動だにしないおばあさん。そのかたわらには、取り憑かれたように鳩に菓子を与え続けるおじいさん。頭が変になりそうなほど、セミがけたたましく鳴いている。  ベンチに座ると東京から背負ってきたはずのリュックサックがどこかへ行ってしまったことに気づいた。 パソコンがなくなったけれど仕事もなくなったからどうでもいい。1万円の釣り銭を握り締め、駅前のコンビニでバドワイザーを買った。ベンチで飲み干し、おかわりのバドワイザーを買いに行った。ハイネケンやバドワイザーのような軽いビールは、起き抜けの迎え酒にピッタリだと思った。  安物のサングラスだから、視界はほとんど真っ暗にしか見えない。ビールをあおり、真っ暗な視界を見やりながら、セミの鳴き声が身体の周りを回転するのを感じる。音量がどんどん上がっていくように錯覚する。「このまま気が狂ってしまうかもしれない」。  その瞬間、体がフッと軽くなって浮き上がり、ベンチに座っている廃人のような自分の姿を中空から見下ろした。「これが今の自分の実像だ」。これまで積み重ねてきたと思っていたものは全て虚像にすぎないことを理解した。 7月の異常に暑い夏の日、僕は確かににととのったのだ。

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