見城徹見城徹 大恩のある[京味]西健一郎さんのお通夜に出席して、これから西麻布で会食です。
京味に通い続けて43年。僕にとって最も大切な店。最も大切な方でした。僕は京味で成長しました。
26年前、角川書店の取締役を辞して幻冬舎を設立。会社の目処が立つまでお伺い出来ませんと言った僕に西さんが即座に言った言葉。
「何をおっしゃるんですか。角川書店の時と同じペースで来て下さい。会社の目処がお立ちになるまで何年でも一切請求は致しません」
思わず涙が溢れました。幸運にも幻冬舎は幸先のいいスタートを切れて、ご迷惑をかけることはなかったですが、あの言葉を生涯刻んで生きて行きます。西健一郎さん、有難うございました。安らかにお眠り下さい。
マッツのトーク
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マッツ マッツ 藤田晋bot藤田晋bot ※先週の役員会で話題に上った話です。
一人暮らしの人が自分の住んでいる部屋を何らかの理由で引越しをしようと考えたとします。
大体の予算イメージを持って、
不動産屋さんに相談し、営業の方から
複数の物件を紹介してもらっているうちに、最寄駅からの距離が魅力的だったり、間取りは良かったり、、
日当たりが良かったり悪かったり、
帯に短したすきに長しといった具合に、
それぞれの好条件に目移りしてるうちに、気がつくと当初予算よりかなりインフレしているということがよくあります。
こういうことは何故往々にして起こるのでしょうか?
私の考察では、不動産屋で相談した時点からの思考が停止しているのではないかと思います。
最終的な決断も、その後そこに住む責任も全て自分が追っているにも関わらず、専門家に相談した瞬間に思考が停止してしまう。
上記は個人の例なので最終的に無茶をする人は少ないですが、このような場面は会社で仕事をしていると、もっと危なっかしいケースを頻繁にみかけます。
それは見積もりをやり取りするうちに金額が上がっていくケースなどですが、金額だけの問題でなく、アウトプットの質まで同時に下げていってしまいます。
最初の予算が少なければ、足りない中で自分達の頭ひねって知恵を出し、なんとか良い成果を出そうとします。
そんな工夫を凝らせば、随所に自分たちらしさがにじみ出て、最終的に一本筋の通ったものに仕上がっていきます。
逆に冒頭の不動産選びのように予算感が甘かったり、予算が簡単に上ぶれするようでは、思考停止している恐れがあります。
良い提案に目移りしていて、一番良いものを選ぶことが仕事になっていたりします。
さらに勧められたものを受動的に決めても、例え大金を使っても、どこか借り物のようで血が通った成果は得ることができません。
やはり自分で考え、創意工夫することが大切なのですが、創意工夫した後の決定が、当初の目的を達しているかを照らし合わせることが最後必須です。
そこでどうしても無理なのであれば、
予算を上げなければと意味がありません。
そこまで責任を持って考えて、思考停止していないと言い切れるのではないでしょうか。