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しんのすけ

しんえん 深淵を見られてる。 ふとそう思った。 わたしと「わたし」の話を今年の4月くらいにしたと思うが、「わたし」(⸺あなたが見るわたし)の本質はわたし自身なのだ。 春先に言われた「私が全てのモチベーションだと危うさを感じる」という言葉の奥にはその本質が見通されていると感じた。そこにわたしの本質があり、ひとを形作る深淵があるのでもあるのだと思う。 そしてそれは、服装、髪型、体型に拘って努力したところで、変わることの、変えることの出来ないものなのであろう。改めてぞっとした。 それでも、一方でオプティミストでもなく、他方でペシミストでもないので改めて整理する。 発言から彼女の私への見方や感じ方すなわち為人は以下の2つ ・私のことが恋愛感情としてめちゃくちゃ好きで、アイドルというより女性として見てる ・それが全てのモチベーションとしてあって何らかの延長線上に私を位置づけている(上記発言、依存することないようにより) ・だから一種の神格化のように信用されている(私の言うことも全てじゃない的な発言より) →客観的に言えばめちゃくちゃ終わってません??笑笑 確かに、上記のようなことになる自己擁護(中高からアイドルが好き→現場に通うようになる→ガチで好きになる→モンスターになる)はいくらでもできるけれども、それだと結局勝てないどころか、人として尊敬もされないし何者でもないと言うことなんですよ。 もっと言うと生き方の問題であり、恋愛依存型人間の弱さが全部出ているという話なんですよね。何を以て人生とするのか、したいのかなんだろうね。彼女のいう危うさってそこにあって、私が他人(ここにいる人は別として)にほとんど見せない深淵を覗きこまれてるような気がして狼狽えています。 行き方を変えてゆく すなわち、自分たちを超えてゆく 自分で叶えたい、何かを成し遂げたい でもそれは、誰かが答えを持っているわけでも、導いてくれるわけでもなく、自分の可能性を探求した先にあるもの 深淵の上書きではない塗替え。

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しんのすけのトーク
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  • しんのすけ
    しんのすけ

    光と影
    2025/02/21


    なるべく飾らない言葉で綴りたい。
    ここが最後のパンチラインなのだから。


    2016年から現場ヲタを始め、その時から開設した755。最後もここが相応しいというか、何だか唯一の言葉を吐ける場所。

    沢山の場所で会い、思いや感動をともにできた場所でもあったから。本当にありがとうございました。

    当時はキャップのオタクをしてて、めるたしのオタクをして、もうオタクはしないと決めて。そのほんのちょっと前に不意な出会いがあって。少しコンティニューコインを投げた先に交差点があって。


    彩ってくれた日々を贈ってくれた方に感謝しています。


    「しんのすけくんって人生を賭けたボケをしてるよね」
    博士の先輩とそんな言葉を交わして笑いあってました。黄昏れていたい時間はあっという間で。輝いていたはずの時間はいつか茜色の思い出に変わっているの。それって時には残酷で。それでいて代えがたい道標でもあって。


    思えば大学生活は負けっぱなしだと思うんです。勿論その分だけ旗を小さくも建ててきたとも思ってるんだけど。そして何よりそのことが悔しくて。


    いつか誰かが言った光と影。
    夢は相対的だと言っていた彼女にとって人生はつりあいを取る毎日で。それは人生を絶対的に生きてきた私との差分で。

    ここまで殆どの分岐点で夢を叶えてきた私にとってこの3年ほどは毎日何かに打ちひしがれるばかりの毎日で。


    ⸺どこか縋っていたい
    ⸺手の届くはずのない何かに手をかけたい


    そんな思いの中でダイブした天の川。そこは暗い夜空の中で何もなかった。

    生きることに意味を感じなくとも残された側への光は生きる意味になり得ると語ってくれた彼女。

    照り輝く世界とは言え、沢山の多くの憂いも見てきたはずで。
    光の代償で生まれた私はその影で。

    最後への旅は美しいものに包まれていてほしい。今見せられる最大限の愛。



    けどそれってある意味矮小化してるようにも思うんですよね。でも別の角度から言うと、言葉を交わした時間は自分の脳裏の彼方で輝いているはずで。それってある意味光なんだろうな。

    そんなことを思いながら。1047円分以上の何かをくれた彼女。

    辞めたくて死にたくて憂鬱な日にあった交差点で出会ってくれた人。
    あなたにであった瞬間の僕はどんな顔をしてたんだろう。見てられないね。




    ⸺お元気で。
    サヨナラさえも言えなかった、言う権利すらなかった時に不意に出た言葉。

    ハイタッチの代わりにグータッチしてるけど、その時だけは手の甲から温もりが伝わった。


    そんな暖かい人、どうか健やかで。


    ここで全ておしまい。
    もう賽は投げられているのだ。