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熊崎雅崇のトーク
トーク情報
  • 熊崎雅崇/オルニ(株)代表
    見城徹見城徹

    人は死してその価値が定まる。全てはプロセスだ。そう思って生きて来た。自分が精一杯愛しながらその想いが届かなかった人たち。何人かは泣いてくれるだろうか?死して想いは届くだろうか?

  • 熊崎雅崇/オルニ(株)代表
    見城徹見城徹

    よく言われていることだけど、人と自分を比べるのが一番愚かだ。[人は人、自分は自分]。
    怒るのはいい。泣くのもいい。愚痴るのもいい。しかし、人と自分を比べることから湧き上がる嫉妬の感情は何も生み出さない。自分にそう言い聞かせている。

  • 熊崎雅崇/オルニ(株)代表
    見城徹見城徹

    自分によって自分の好きな人が嬉しくなったり、幸せを感じたりする。そのために生きている。
    報われないと思える日はある。切なくて涙を堪える日もある。それでも真心を込めて誠実に生きる。リングに立ち続ける。戦う。その上で、「微笑みながら消えてゆく」(角川時代に僕が作った銀色夏生の単行本のタイトルです)。それが僕に出来るだろうか?

  • 熊崎雅崇/オルニ(株)代表
    見城徹見城徹

    自意識が強いのはいい。僕だって強い。その分、自己嫌悪も強い。それだけで疲れる。ヘトヘトになる。小さなことにクヨクヨし、小さな石に足を取られ、小さな人に後ろ髪を引かれ、気を遣いながら生きている。
    僕は755にただ日々思うこと、日々の場面をアップしている。勿論、アップ出来ないことや場面の方が圧倒的に多い。誤解を怖れずに言うが、アップ出来ない僕の毎日は多分、皆さんの想像を絶する。755は755だ。ここで僕は皆さんとイーブンにやって来た。一人一人を大切に思って来た。
    失礼な話やトンチンカンな話でなければ僕は付き合う。自意識過剰も結構だけど、他者と自己を峻別し、自意識過剰だけがアイデンティティになった人とは僕は付き合えない。
    ゴーマンかましてヨカですか?
    見城徹は755のここにいる。切なさを噛み締めて生きている。泣きながら眠りに就く。
    僕のトークで良ければ、いつでもどうぞ。

  • 熊崎雅崇/オルニ(株)代表
    見城徹見城徹

    いつも思う。LINEを交換すると愛称やハンドルネーム、アルファベットの人がいる。「ふざけんな」と思う。名前は日本語で本名でやるべきだ。ちゃんとしといる人は皆んな本名でやっている。本名でやるリスクはある。それを怖れるならLINEをやるべきではない。やるなら日本語で本名でやる。だって、どんな人と交換するかも知れない。
    初対面で交換する時もある。頼み事をする相手の時や歳上の人の時もある。愛称やハンドルネーム、アルファベットでは相手に失礼極まりない。何でそんな基本的なことが解ら無いんだろう?

  • 熊崎雅崇/オルニ(株)代表
    死ぬために生きる死ぬために生きる

    いよいよ復帰まで1週間を切った。
    楽しみでワクワクというのがアスリートの健全な思考な気がするが、僕は毎晩憂鬱で眠れない。

    1週間前に練習試合に出場した。
    サッカーの試合に近い形でのトレーニングはしていたが、ガッツリ試合でプレーするのは、実に1年10ヵ月ぶりだった。

    簡単な話で、準備できたことはプレーや結果に繋がったが、準備できなかったことや甘かった部分は試合の中での課題に直結した。
    全て自責なのだが、こんな状態で復帰して良いのかと自己嫌悪に陥った。

    身体には小さな怪我が沢山ある。
    体重は僕の中の規定体重以下なのだが、なんとなく見た目や動かした感覚に納得がいかない。
    これらも自責なのだが、1年半以上適当に身体を動かして適当に食べたいものを食べていた身体を2カ月で突貫工事的に仕上げたので、ボロが出るに決まっている。

    トレーニングを積めば積むほど、弛んでいた過去の自分が情けなくなり、また自己嫌悪に陥る。

    ただでさえ痛む場所が多いのに、十分に睡眠を取れないことで、傷の修復ができるわけがないと、追い討ちのように自己嫌悪に陥る。

    この自己嫌悪達は寝る直前で活発になり、憂鬱を誘発して僕を不眠へと誘う。
    そして、復帰することへの不安と恐怖も抱かせる。

    しかし、不眠症気味になって良いこともある。

    本当に心配で不安だから、どうやったら上手くプレーできるか、どんなケアをしたら痛みが和らぐか、結果を出すための方法を必死に考えるようになる。

    追い込まれてしか考えられない自分の弱さが情けないが、今まででは考えられなかった改善策やアイデアが浮かんでくるし、プレーの振り返りも解像度が深くなる。

    そう考えると、薄っすら意識がある中で聞こえてくる小鳥の囀りも、朝日で空が明るくなる光の侵略も、嫌な気がしない。

    でも寝たいものは寝たい。

  • 熊崎雅崇/オルニ(株)代表
    見城徹見城徹

    ↑ 人は何故、スポーツをするのか?極限の答えがここにはある。1972年に出版されたボクシング世界ライト・ヘビー級チャンピオンを経て作家になったホセ・トーレスの[カシアス・クレイ]を読んだ時の感動に似ている。僕はこのノンフィクションを読んで自覚的にトレーニングを始めたのだった。試合での恐怖と不安を克服するための激しいトレーニング。その苦闘と恍惚。いつかリングに立ちたい。本気でそう思った。結局は実現することがなく、ただのホラに終わっているが、「死ぬために生きる」のこの投稿を読むと再びリングへの想いが湧き上がる。止むことのない自己嫌悪との闘い。
    「勝者には何もやるな」
    アーネスト・ヘミングウェイの言葉が頭の中を駆け巡る。人生の最後に僕は微かに笑うことが出来るだろうか?

    「拳闘界の多くの人が幸運と呼ぶところのものは、実は、不安をエネルギーに変える天才の技術なのであった」
    ーーホセ・トレス著[カシアス・クレイ]