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LOS INGOBERNABLES💀

人からの嫌がらせ、妬み、怨み、憎しみがやってきた時は「受け取らない」 自分で日ごろからそういったことに出逢わないよう、巻き込まれないよう心がけ、注意している人でも、長い一生のうちには、思いもしない時に、思いもしない相手から、突然、嫌がらせや妬(ねた)み、怨(うら)み、憎しみを受けてしまうことがあったりします。  ブログをされている方の中にも、暗闇から突然棒で打ってくるような卑怯で迷惑なメッセージやメールが突然、送られてきて、大変に嫌な、不愉快な思いをされることがあると聞きます。  もし、そんな目にあってしまった時の対処法があります。  それは、「受け取らないこと」です。  これは自分に直接向かってこない部類の、身の回りの人が口にする不平不満や愚痴、悪口、陰口についてもあてはまることだと思います。  「こんな時は、『受け取らないこと』ですよ」と2600年前からその行いの本質を見抜き、アドバイスしてくれていたのが、お釈迦様です。  ある時、弟子の阿南(アーナンダ)がお釈迦様に質問しました。  「人を憎んだり、妬んだり、怨んだりしている時、その憎しみ、怨みの念を、もし相手が受け取らなかったら、その憎念、怨念はどこにいくのですか」  すると、お釈迦様は笑って、こう問い返されました。  「阿南、あなたが人に贈り物をした時に、その相手が受け取らなかったら、その贈り物はどこに行きますか」  阿南は、  「相手が贈り物を受け取らなかったら、その贈り物は贈り主のところに戻ってまいります」  「その通りです。憎念も怨念も、相手が受け取らなかったら、それは送った人のところに戻ってくる。そして自分自身の運命を傷つけ、損なうことになるのです」  とお釈迦様はお答えになりました。

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時時勤払拭(じじにつとめてふっしきせよ)
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    人からの嫌がらせ、妬み、怨み、憎しみがやってきた時は「受け取らない」

    自分で日ごろからそういったことに出逢わないよう、巻き込まれないよう心がけ、注意している人でも、長い一生のうちには、思いもしない時に、思いもしない相手から、突然、嫌がらせや妬(ねた)み、怨(うら)み、憎しみを受けてしまうことがあったりします。

     ブログをされている方の中にも、暗闇から突然棒で打ってくるような卑怯で迷惑なメッセージやメールが突然、送られてきて、大変に嫌な、不愉快な思いをされることがあると聞きます。

     もし、そんな目にあってしまった時の対処法があります。

     それは、「受け取らないこと」です。

     これは自分に直接向かってこない部類の、身の回りの人が口にする不平不満や愚痴、悪口、陰口についてもあてはまることだと思います。

     「こんな時は、『受け取らないこと』ですよ」と2600年前からその行いの本質を見抜き、アドバイスしてくれていたのが、お釈迦様です。


     ある時、弟子の阿南(アーナンダ)がお釈迦様に質問しました。

     「人を憎んだり、妬んだり、怨んだりしている時、その憎しみ、怨みの念を、もし相手が受け取らなかったら、その憎念、怨念はどこにいくのですか」

     すると、お釈迦様は笑って、こう問い返されました。

     「阿南、あなたが人に贈り物をした時に、その相手が受け取らなかったら、その贈り物はどこに行きますか」


     阿南は、

     「相手が贈り物を受け取らなかったら、その贈り物は贈り主のところに戻ってまいります」

     「その通りです。憎念も怨念も、相手が受け取らなかったら、それは送った人のところに戻ってくる。そして自分自身の運命を傷つけ、損なうことになるのです」

     とお釈迦様はお答えになりました。

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    この話は、「受け取らないこと」の大切さとあわせて、人を怨んだり、憎んだり、妬んだりしてはいけないということも教えてくれています。

     人を怨み、憎しみ、妬み、嫌うことで、相手を傷つけているつもりが、どんどん自分自身の大切な魂を傷つけ、運命を損なうことになってしまうからです。


     突然、人から嫌がらせをされたり、憎まれたり、怨まれたりすると、戸惑い、不安になり、心の温度が冷たく下がり、いたたまれなくなるものですが、それによって、一番不幸に、不運になるのは、その相手であるというこの世の仕組みをすぐに思い返し、自分自身は「受け取らない」ことが大事であるわけです。

     「受け取らない」という意思表示を送る際の最高の言葉、想いは「感謝」であるようです。

     もしも、そうした目にあった時は、受け取らないで、すみやかに手放すこと。長く持つと自分の魂が傷ついてしまいます。

     そして、受け取らないで、さっと手放した怨みや、憎しみ、妬みへ贈る言葉が、「ありがとう」なのでしょうね。

        Amebablog ことは氏談

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    御 教 歌

    わするなよ まかぬたねなら はえもせず

    まいたたねなら はえるものぞと


     蒔かぬ種なら生えもしないが、蒔いた種なら必ず生えてくる道理を忘れないようにしていきたいもの。
    このようにお示しの御教歌です。

    本日の御教歌では、因果の道理についての教えです。

    種を蒔かず実が生ることはないように、何もせず果報を望んでも無理なことで、原因がなければ結果は生じないものです。

    御指南に

    「されば善悪ともにまいた種なれば、はゆるといふことと決定(けつじょう)なるべし。」

    「善につけ悪につけまいた種は、必ず生えてくるもの。」

    さらに

    「親をうつこぶしは、影まで親をうつ。善も悪も響(ひびき)の音に応ずるが如(ごと)し。善因善果悪因悪果(ぜんいんぜんか・あくいんあっか)。」

    「親に振り上げたこぶしは、何時までも自分の身体、心に痛みとして残るものであるように、善も悪も必ず報いがくるもの。」

    このように、善因善果・悪因悪果は世の中の道理であることをお示しです。

    さらに御指南に

    「一善を行ずれば福至らずと雖(いえど)も、自(みずか)ら禍(わざわい)遠のく。一悪を行ずれば禍未(いま)だ至らずと雖も災害自ら近づく。」

    「ひとつの善を行なえば、福にすぐ至らなくても禍が自然と遠のいていき、ひとつの悪を行なえば、その場で禍に至らずとも災害自ら近づいてくる。」

    このように、世の中の全てのものには「因果の道理」があり、これから外れたものはありません。

    天に向かって吐いた唾は必ず自分に返ってくるように、また自分の書き記した文字は夜真っ暗闇になっても残っていくように。

    ですから、自分の言動にも必ず因果の報いがあることを知って、日々を過ごしていくことは大切なことです。

    そのことをお示しの御教歌であう。


      小牧清立氏 blogこころのものさしより

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    はきものを そろえると 心もそろう
    心がそろうと はきものもそろう

    ぬぐときに そろえておくと
    はくときに 心がみだれない

    だれかが みだしておいたら
    だまって そろえておいてあげよう

    そうすればきっと
    世界中の 人の心も そろうでしょう

    藤本幸邦

    藤本幸邦 長野県円福寺の住職として、終戦直後から戦災孤児
    救済運動を推進
     
    名言というより詩ですが、あまりにも素晴らしいので紹介します

    禅の修行寺の玄関には「脚下照顧(きゃっかしょうこ)」という
    札が立ててあるそうです「自分の足元を見よ」「自分の行いを
    見よ」と言う意味ですが、それを子どもにも分かるように、
    そしてそれがいつも行動として身につくようにと考えたのが
    この詩なのだそうです

    以下藤本氏のインタビューより抜粋です

    「はきものをそろえる」という言葉には、「脚下照顧」、「自分
    の足元を見よ」「自分の行いを見よ」と言う意味と、もう一つ
    深い意味があるのです。人間はすべて二つでバランスをとって
    いるのです。右足と左足の二つがあるから歩くことができる
    のです。目も二つ、耳も鼻の穴も二つ、手も二つでしょう。脳も
    大脳・小脳二つ。この世の中は全部二つ、二つを揃えることが
    大切なのです。「ロはひとつでしょう」と言う人がいましたが、
    入る口と出る口があるのです。善があれば悪がある。肉体が
    あるから精神があるのです・・・

    誰かのはきものが、みだれていたら、黙ってそっとそろえて
    あげられるような人こそが、本当に思いやりのある人なのだと
    思います。

    そんな人がひとりでも増えれば、そんな子供が沢山育てば
    世の中は、もっともっと素敵なものになるでしょうね 。

     blog コトバノチカラより

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    ■1他人鏡・あなたの姿が激変する!-
    ∽…∞…∽…∞……∽…∞…∞

    ▼この世に、心をうつす三枚の鏡があります。

    ------------------
    ┌─┐┌─┐┌─┐
    │仏││自││他│
    └┬┘│分││人│
     │ └┬┘└┬┘
    ------------------

    1他人という鏡

    2自分という鏡

    3仏という鏡

    一体どれを使えばいいのでしょうか。


    ▼鏡を選ぶ基準は、

    値段……ということもあるかもしれませんが、

    もっと優先なのは、

    ありのままにうつすかどうかです。

    正確にうつっていなければ、

    安くても仕方がありません。


    では、この三枚のうち、どれが正確に

    あなたの姿をうつしてくれるのでしょうか。

    一つ一つ見てゆきましょう。


    ▼まず、一番目の他人という鏡。

    これはどういうことでしょうか?

    これは、私に対する『他人の評価』です。


    ということは、

    周りの人はあなたのことを

    善い人だと思っているでしょうか。

    悪い奴だと思っているでしょうか。

    ということです。


    では、これは正しくあなたをうつし出すのでしょうか。

    一休は、他人という鏡をこう言っています。

    ----------------------------
    今日ほめて明日悪く言う人の口
    泣くも笑うもウソの世の中
    ----------------------------

    人というものは

    今日はあなたを、

    「いい人、大好き。」

    とほめていても、

    明日になると、

    「あんた、そんな人だったの?大嫌い!」

    と悪く言う。

    あなたは昨日と今日でそんなに変わっていないのに、

    人の口は、ころころころころ変わります。

    あてになりません。


    ▼なぜこんなに激変するのでしょうか。

    それは、自分の都合で決めているからです。

    自分に都合が悪い人は、

    「あいつ悪い奴だ」

    自分にとって都合のいい人は、

    「いい人」

    自分の都合でころころ変わってしまうのです。


    ▼だから、好かれる方法は簡単です。

    100万円持って行くと

    「あらいい人~」

    と好かれます。

    やってみてください。


    ▼次に、嫌われるのはもっと簡単です。

    悪口言えば必ず嫌われます。

    面とむかって言わなくても

    カゲでいえばOKです。


    ▼では、もっと実用的な好かれる方法です。

    今は好かれていない、

    それどころかケンカばかりしている

    ▼ライオンはそしられてもライオン

    豚はほめられても豚

    豚は

    「よく太ってますね~」とほめられても、豚です。

    ほめられてもけなされても

    自分の価値はかわらないのです。



    ▼それなのに、喜んだり悲しんだり、

    「この鏡に美しくうつりたい」

    「この鏡にかっこよくうつりたい」

    一日中神経すりへらしています。

    こんな化ける鏡ばかり一生懸命見ているから

    真実の自己がわからない。

    ここに全人類の悲劇があるのです。


    ▼そういう私たちに、

    「本当の自己を知りなさい。」

    「本当の自己と対面しなさい。」

    と教えられているのが仏教です。