見城徹見城徹 いつも感じることがある。大事な相手の依頼に無理をしても応じようとする姿勢を示せない人はダメだ。結果はどうだっていい。無理をしてでも相手に誠意を尽くそうとするその姿勢は相手の胸を撃つ。僕はそういう人とだけ付き合いたい。僕はそういう人には何百倍も恩返ししようと思って生きている。そして、僕だって自分の付き合う人の頼みには出来るだけ無理をする。
誠意とは「無理をすること」と「スピード」だ。それがなければ大きな仕事など動かない。
つなぎびと@ヘタレもぐらのトーク
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つなぎびと@ヘタレもぐら つなぎびと@ヘタレもぐら 見城徹見城徹 若者たちよ。動け、動け、動きながら考えろ。考えながら、動け、動け。そのうちに照準が合って来る。動かなければ何も始まらない。僕の20代、30代、40代はただただひたすら動いた。動いた量はやがて質を高め、本質を抉る。それを体感せよ。無茶をやれ。不可能を選んで向かえ。その中で考え抜け。その中で葛藤しろ。絶望しろ。そして、それでも尚、動き続けろ。ダイナミックにスウィングして生きろ。勘違いするなよ。スウィングしながら自己検証、自己嫌悪、自己否定を忘れずにね。
つなぎびと@ヘタレもぐら 鯖缶鯖缶 「こころ」は私も高校生の時に読み耽り、読後しばらく悶々とし、学校でもなんだか急に居心地が悪くなったような(生意気にも自分だけ大人になった気がしたんでしょうか)日々を思い出しました。
多感な思春期頃に読んだ本が血となり肉となり、人間形成に大きく繋がっているんですね。
あの頃読んだ本たちは特別です。
大人になり、忙しくて本を読まなくなりました。
たまに読んでも思春期の頃のような衝撃を受ける事はもうなくなりました。歳を重ねるとはそういう事だと、それを別段気にも留めていませんでしたが。
ところが6年前、あの頃のようにものすごい衝撃を受ける本と出会いました。
「憂鬱でなければ、仕事じゃない/見城徹+藤田晋著」
大人になってこんなに激しく本に心揺さぶられるとは思いもよらず、雷にでも打たれたかのような気分でした。
その後見城さんのご著書を貪るように読み漁る日へと続き、読書を思春期のように愉しめるようにもなりました。
本は時に劇薬だ!
この頃755を始められた人が多くいらっしゃると思いますが、そんな方々に是非と
も「憂鬱でなければ、仕事じゃない」を読む事を強くお勧めします。
「憂鬱でなければ、仕事じゃない」を読んだ人と読んでない人には決定的な違いがある。
読んでごらん、あなたの世界が変わるから。つなぎびと@ヘタレもぐら 見城徹見城徹 決断するということは全てを失ってもいいと覚悟することだ。最悪の事態を思い描くことだ。戦いは決断の連続である。戦わないのなら決断をする必要はない。決断の数だけ男は漢になる。戦うしか漢への道はない。漢になりたい。
漢でいたい。つなぎびと@ヘタレもぐら 見城徹見城徹 ↑ 強烈に何かを失う覚悟がなければ、大きな決心なんか出来ないよ。人はリスクと引き換えに新たな地平を獲得する。人生はその連続だ。それが辛いなら自分を殺して生きればいい。生きながら死ぬか、死を覚悟して自分の道を生きるか、だ。
そういう僕も大きな決心の前で足踏みをしている。人生は生きようと意志する者に残酷だ。つなぎびと@ヘタレもぐら 橋場日月橋場日月 ↑
リトークさせていただきます。
「恋の至極は忍ぶ恋と見立て候。逢いてからは恋のたけ低し。一生忍んで思い死することこそ恋の本意なれ 」
(『葉隠』)
忍ぶ恋こそまことなれ。
男女関係なく、この人こそと思った相手には陰で尽くす。尽くして見返りを求めない。
言葉に出して、態度に出して、をしてしまえば、恋のたけ(MAX値)は減る。
見城社長はもののふの理想像。
あゝ、言葉に出してしまった。つなぎびと@ヘタレもぐら 見城徹見城徹 ↑ ずっと胸に響いてました。
本当に愛した人にこそ、忍びて終わり悔いなし。それをやり切って死ねたらどんなに満足か?
微笑みながら消えてゆく。
武士道と云うは死ぬ事と見つけたり。