今唐突に思いついたので藤原くんへの反論を置いておくね。
君は何故か「抜けている」と「ない」を同一視したみたいで、誰かに聞いたのか「やっぱり同じだったよ。」と報告してきたけれども、
まず順を追って、仮に誰かに聞いたとして、どういった場合に同じ意味となるか、
それは「ない」とされたものが”全体の中の一部”だった場合だ。
例えば、順番に並べた石があるとしよう、
「ここに石がない」というのと、「ここの石が抜けている」という表現とでは、
同じ事実を表す違う言葉になるだろう。
もう一度繰り返すけど、それはないとされたものが「部分的」だからだ。
次。同じ意味として扱った場合に、「おかしくなるケース」が存在するか、という観点で見てみよう。
君は友達に電話で、「さっき歯が抜けた」と言われた。
その友達に明日会うとして、君はその友達の姿をどう描くか...。
当然、文字通り「歯がない」とは想像しないだろう。
なにか原因があって、1本、ないし2本程度歯が抜けているところを想像しただろうと思う。
このように、場合によって、
というよりは、「限定した場合にのみ」、その二つは同じ意味を得るわけだ。
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