1 おっさん友の会 ★[] 2022/12/27(火) 20:05:07.92 ID:P5uosd6o9
今月21日に83歳で死去した元都議会議長で、元自民党都連幹事長の内田茂氏の葬儀・告別式が27日
東京都港区の増上寺で営まれた。長く都議会で影響力を保持し、都政と国政をつなぐパイプ役を担った
内田氏の式とあって、岸田文雄首相をはじめとする政界関係者らが参列し、冥福を祈った。
式では自民党政調会長で同党都連会長の萩生田光一衆院議員が「内田茂という政治家は
地方自治一筋に歩んだ素晴らしい政治家だったと誇りを持って申し上げたい。そして、いつも仲間や
後輩を気遣う心優しい尊敬する『ドン』でした。内田先生の思いを受け継ぎ、素晴らしい東京、日本を
作っていけるよう頑張っていきたい」と弔辞を述べた。
内田氏は千代田区議を4期務めた後、平成元年の都議選で初当選。都議会議長などを経て
17年には慣例では国会議員が務めてきた都連幹事長に、都議として初めて就任。21年の都議選で
落選したが、25年の都議選で復活した。
28年の都知事選では擁立に関わった候補者が小池百合子知事に負け、都連幹事長を引責辞任。
翌年の都議選に出馬せず、引退した。
産経新聞 2022/12/27 19:07
https://www.sankei.com/article/20221227-AOWZCUJXMNKFBKQQ4VVFE25QLM/
指がちょっと血を流し始めるまで打楽器のように酔いどれピアノを弾け
トーク情報- じょんれのん。
じょんれのん。 1:征夷大将軍 ★:2025/01/20(月) 20:52:40.93 ID:CABQwwMa9
1960?1971年まで『NHK紅白歌合戦』に12回連続出場した歌手で俳優のアイ・ジョージさん(本名・石松譲冶)が亡くなったことが1月20日、NEWSポストセブンの取材でわかった。91歳だった。
NEWSポストセブン2025.01.20 20:18
https://www.news-postseven.com/archives/20250120_2018605.html?DETAIL
https://www.news-postseven.com/uploads/2025/01/20/ai_george03-644x750.jpg
「東京都内の自宅で倒れているところを親族が発見し、そのまま死亡が確認された。病死で、事件性はないようです」(関係者)
日本人の父とスペイン系フィリピン人の母を持つジョージさんは、流しの歌手を経て「黒田春雄」名義でデビュー。その後1959年に「アイ・ジョージ」名義で再デビューすると、1963年には米ニューヨークのカーネギー・ホールで日本人のポピュラー歌手として初めて公演したとされている。
「1959年にメキシコから来日した『トリオ・ロス・パンチョス』が作った“ラテン歌謡ブーム”に乗ってブレイク。1960年には楽曲『ラ・マラゲーニャ』で第11回NHK紅白歌合戦に初出場しました。
1961年にリリースした代表曲『硝子のジョニー』は、翌年に宍戸錠(享年86)さん主演で映画化され、ジョージさん本人も出演しています。その後も『赤いグラス』などのヒット曲を生み、1971年まで12回連続で紅白歌合戦に出場しました。
俳優としても活躍し、本人の自伝的映画『アイ・ジョージ物語 太陽の子』(1962年)のほか、長嶋茂雄さんが主演した『ミスター・ジャイアンツ 勝利の旗』(1964年)、高倉健さん主演の『顔役』(1965年)などにも出演しています」(スポーツ紙記者)
昭和の流行歌として誰もが親しむ曲を複数作ったジョージさん。晩年も、音楽の仕事に意欲的だったという。直近までともに仕事をしていたという芸能関係者の話。
「先週も会いましたが、いつもと変わりなく元気でした。『今年は80歳の新人歌手のプロデュースがあるんだ』と話しており、本人も楽しみにしていただけに、亡くなったと聞いて驚いています。
近年は心臓にペースメーカーを入れていましたが、昨年の9月にも知り合いのスナックで、ジョージさんの誕生日パーティーを開いていました。マッコリを飲みながら、変わらない歌声で堂々と歌っていたのが印象的です」
ご冥福をお祈りします。