Let It bleed
トーク情報- じょんれのん。
じょんれのん。 1:少考さん ★:[sage]:2024/10/14(月) 11:50:12.86 ID:J/0WO6gx9
袴田さん無罪確定を機に「菊光刃物店」は看板を外した 証言を気に病み続けた亡き母へ「無罪になったよ」:東京新聞
https://www.tokyo-np.co.jp/article/360261
2024年10月14日 06時00分
1966年に静岡県清水市(現静岡市清水区)であった一家4人強盗殺人事件で、凶器を売った店とされた沼津市の「菊光(きくみつ)刃物店」が13日、犯人として死刑囚となった袴田巌さん(88)の再審無罪確定を受け、看板を外した。一審では3代目の高橋国明さん(74)=群馬県板倉町=の亡き母みどりさんの証言が有罪の証拠の一つとされた。みどりさんは後に証言を誤りと認め、晩年は気に病み続けた。高橋さんは13年前の廃業後も「事件は続いている」と看板を掲げ続け、この日、区切りを付けた。(山本真嗣)
◆「思っていることと違うことを話した」
「ようやく、終わった」。13日午前10時過ぎ。菊光刃物店と書かれた看板が外され、店の前に下ろされると、高橋さんはかみしめるように話した。
死刑判決で、凶器とされた「くり小刀」を袴田さんが購入した店とされた。高橋さんの父福太郎さんとみどりさんが検察側の証人となり、店番をしていた母みどりさんが「(袴田さんに)見覚えがある」とした証言が決め手となった。
だが、みどりさんは10年ほど前、報道機関の取材に「思っていることと違うことを話した」と明かした。みどりさんが法廷で証言した当時、高校生だった高橋さんは、地裁から戻ったみどりさんが「証言の仕方って教えてくれるのね」と口にしたことを覚えている。検察側の誘導があったのではと、今も疑う。
◆袴田さんの支援活動に加わり
事件発生当初は、同級生から「凶器屋」とからかわれ、被害者意識を持っていた高橋さん。しかし「被害者ではなく(母は)加害者になってしまったのでは」との思いが募り、以後、支援活動に加わった。再審公判は結審まで全15回、群馬県から在来線で片道6時間をかけて通った。
判決公判は12倍の倍率をくぐり抜け、傍聴券を引き当てた。「主文、被告人は無罪」。裁判長が言い渡した瞬間、証言台で判決を聞く袴田さんの姉ひで子さん(91)を見て「本当に良かった」との思いがこみ上げた。
福太郎さんは10年以上前に他界。みどりさんは昨年2月、再審開始決定の直前に亡くなった。無罪判決の翌朝、高橋さんは沼津市内の両親の墓に「無罪になったよ」と報告。「ずっと重荷を背負っていたのでは。ゆっくり静かに眠ってほしい」と願う。
◆「両親に代わり、改めて深くおわび申し上げます」
店は福太郎さんの死去とともに、みどりさんの介護の必要性から2011年に廃業。13日に看板を外す直前、高橋さんは両親の遺影を持つ親類と「両親に代わり、改めて深くおわび申し上げます」と頭を下げた。
(略)
※全文はソースで。 - じょんれのん。
じょんれのん。 34:名無しどんぶらこ:[sage]:2024/10/14(月) 12:04:02.02 ID:gzqYWUfb0
>>15
2014年の記事が詳しいな、写真には見覚えのある顔がなかったけど話してる地理関係が正しいから証言した
その後裁判内容を知ってうちのものとは思えないと疑問を持ち始めた
>女性は事件当時、同県沼津市にあった刃物店の店主の妻。現在は病気療養中だが意思疎通は十分でき、高橋さんと一緒に取材に応じた。
>一審や控訴審では「捜査員から見せられた顔写真の中に見覚えのある顔があった。事件の2~3カ月前に見たような気がする」などと証言していた。
>しかし高橋さんによると、女性は店を訪れた捜査員に数十枚の顔写真を見せられたが、見覚えのある顔はなかった。
>別の日に捜査員が「犯人がこの店で刃物を買ったと話している」と言い、犯人が書いたものとして手書きの地図を見せた。
>女性は地理関係が正しかったので「だったら店に来たのだと思う」と答えたという。
>女性は92年ごろ、凶器とされた小刀が原形をとどめていたことを知って判決に疑問を持つようになった。
>高橋さんは「母は自分の証言で有罪になったのではないかと苦しんでいる。この声が裁判所に届いてほしい」と話している。