1:阿弥陀ヶ峰 ★:2025/10/30(木) 12:19:31.86 ID:84y2+bj89
◆米大リーグ ワールドシリーズ第5戦 ドジャース1―6ブルージェイズ(29日、米カリフォルニア州ロサンゼルス=ドジャースタジアム)
ドジャースが29日(日本時間30日)、ワールドシリーズ第5戦の本拠地・ブルージェイズ戦で敗れて2連敗で2勝3敗となり、後がない崖っぷちに立たされた。ブルージェイズは1993年以来32年ぶり3度目のワールドシリーズ制覇に王手をかけた。
「1番・指名打者」でフル出場したドジャース・大谷翔平投手(31)は投ゴロ、空振り三振、右直、一ゴロで4打数無安打。2試合、13打席連続安打なしとなった。佐々木朗希投手(23)は2試合連続で登板なし。31日(同11月1日)の敵地での第6戦は、2登板連続で完投勝利と絶好調の山本由伸投手(27)が先発する見込みだ。
ドジャースは先発のスネルが、初回先頭のシュナイダーに初球の直球を左翼席に運ばれて先頭弾を被弾。続くゲレロにも2球目の直球を左翼席に運ばれた。ワールドシリーズで先頭打者からの2者連続弾は史上初。いきなり2点のリードを許した。
大谷は1打席目に投ゴロ。ド軍打線は1回2死からブルージェイズの22歳新人先発右腕・イエサベージの前に5者連続三振を喫したが、3回にE・ヘルナンデスが左翼へソロを放って1点差に迫った。スネルは2回以降立ち直ったが、4回に右翼手T・ヘルナンデスがダイビングキャッチに失敗して先頭打者に三塁打を許すと、続くクレメントの中犠飛でリードを再び2点に広げられた。
前夜の第4戦に続いて継投がはまらなかったのが1―3の7回。6回までで90球を超えたいたスネルを続投させたが、1安打と四球に暴投なども絡んで2死一、三塁となって116球となってヘンリケスをマウンドに送ったが、暴投、ビシェットの右前適時打で2点を失ってリードを4点と広げられた。1イニング3暴投はスポーツの記録統計を扱う「オプタ・スタッツ」によると、ワールドシリーズ史上初の屈辱だった。
8回にも3番手左腕・バンダがカイナーファレファに左前適時打を浴びて1―6。5点を追う8回2死一塁で大谷は4打席目を迎え、第3戦で本塁打を放った右腕のドミンゲスと対戦したが初球で一ゴロに打ち取られた。
今季の本拠地最終戦で5万2175人が集まる中で完敗を喫し、2勝3敗であとがなく崖っぷちに立たされたドジャース。ベッツを3番に起用し、パヘスをスタメンから外すなどテコ入れしたが効果はなかった。30日(同31日)の移動日を挟み、31日(同11月1日)、11月1日(同2日)の第6、7戦はカナダ・トロントの敵地で行われる。試合前にロバーツ監督は前日28日(同29日)に先発した大谷を第6、7戦は状況に応じてリリーフ登板させる可能性があることを示唆していた。
https://news.yahoo.co.jp/articles/d6294d9a455d47daabdfdff8582f5d67b1c4b342
指がちょっと血を流し始めるまで打楽器のように酔いどれピアノを弾け
トーク情報- じょんれのん。
じょんれのん。 1:征夷大将軍 ★:2025/11/01(土) 19:57:11.49 ID:Qfc2oSfD9
(前略)
昭和の時代には、今の常識では考えられないような出来事や習慣が、当たり前のように存在していました。街の風景も人々の価値観もどこか牧歌的で、それでいて少し無頓着。
そこには、便利さや安全よりも「人のつながり」や「その場の空気」を大切にする、独特の時代の色がありました。ここでは、当時の暮らしぶりを象徴する“昭和の常識”を振り返ってみましょう。
まず驚くのは、子どもでもタバコが買えたという話です。角のたばこ屋で「お父さんの分です」と言えば、店主は何の疑いもなく箱を渡しました。やがて街角にタバコの自動販売機がずらりと並ぶようになると、夜でも誰でも買えてしまう時代に。年齢確認もなければカメラもない。子どもたちは興味半分で百円玉を重ね、「買えた!」と得意げに笑い合ったといいます。今から思えば危うい光景ですが、それほどまでに社会全体が“おおらか”だったのではないでしょうか。
そんな「信頼」の文化は、家庭の外にも広がっていました。不在時に届いた荷物を隣の家が預かってくれるのが当たり前だったのです。
配達員が「お隣にお願いしておきました」と言えば、それで問題なし。お礼にお菓子を渡したり、後日おすそ分けで返したりと、互いに顔が見える関係が自然に成立していました。便利な再配達システムがなかったぶん、人の温かさが宅配の仕組みを支えていたのです。
学校の空気も今とは違いました。授業中に騒げばゲンコツ、遅刻すればビンタ。チョークが飛んでくるのも珍しくなく、廊下に立たされるのは日常の風景。教師が絶対的な存在で、保護者に告げても「あなたが悪い」で終わるのが普通でした。
中には授業中にたばこを吸う先生もいて、教室が煙でかすむほどだったという証言もあります。今なら体罰やハラスメントとして問題視される行為が、当時は「教育の一環」として受け入れられていたのです。
■ヤラセなしで…一般人にドッキリ!
(中略)
テレビ番組にも、今では放送不可能な企画がありました。芸能人ではなく、一般人にドッキリを仕掛けるバラエティ番組です。1969年に放送された『なんでもやりまショー』(日本テレビ系)の人気コーナー「元祖どっきりカメラ」では、仕掛け人が一般人を驚かせ、その様子を隠し撮り。最後に「どっきりカメラ!」の札を掲げてネタばらしをしていました。怒る人もいれば爆笑する人もおり、番組は大ヒット。今なら炎上必至ですが、当時は“人のリアクション”そのものを楽しむ素朴な娯楽だったのです。
そして、金曜夜8時といえばプロレス。力道山に始まり、ジャイアント馬場、アントニオ猪木・・・昭和のヒーローたちが、お茶の間を熱狂させました。
試合が始まると銭湯は閑散とし、家族全員がちゃぶ台の前で固唾をのむ。テレビのチャンネル権をめぐる争いも、この時間だけは休戦。試合のゴングと同時に、家庭の空気もひとつになったのです。
鉄道の利用も、今とは比べものになりません。駅の改札では自動改札機などなく、駅員が一枚ずつ切符を受け取り、“パチン”と鋏を入れて通していました。切符を買うのも窓口で口頭。「○○までください」と伝えて現金を渡す。改札口には人の声とハサミの音が絶えず響き、そこに確かな「旅の始まり」の匂いがあったのです。
カラオケもアナログでした。分厚い曲目本をめくって番号を探し、リモコンで入力。順番を譲り合いながら、マイクを回して歌う。少し音が割れても、笑い合えばそれで十分。機械が完璧ではないぶん、人の空気で盛り上がる??そんな昭和的な楽しみ方がありました。
ネット上には、今もそんな時代を懐かしむ声があふれています。
「小学生の頃、自販機で父のタバコを買って届けたのが“お手伝い”だった」
「鯨の竜田揚げの匂いが給食室から漂うと、みんなソワソワした」
「金曜8時のプロレス中継は家族行事。祖父まで立ち上がって応援してた」
どの声にも、昭和の温度がそのまま残っています。
「昭和の時代は、今よりも人間関係やコミュニケーションが生活の中心にありました。子どもがタバコを買えてしまったり、隣人が荷物を預かってくれたりするのは、現代では考えられない光景ですが、そうした経験を通して人々は互いに信頼し合う感覚を自然に身につけていたのです。今の便利な社会では失われつつある“顔が見える関係性”を当時の暮らしから学べる点は多いでしょう」(生活情報サイト編集者)

