ログイン
詳細
投稿画像

↑ 「憂鬱でなければ、仕事じゃない」のまえがきから抜粋。 「三十代になってから一番影響を受けた人物は見城さんかもしれないな」 顧問を務める山形の東北芸術工科大学に、新幹線に乗って見城社長とふたりで行った帰り道、一人になってふとそう思いました。  二十代のころ社会に出てがむしゃらに仕事を始めてから、ずっと心の中に引っかかっていたものが二つありました。それは「凡庸なもの」「表面的なもの」とどう付き合うかということ。組織の中で個性を失い、社会からはみ出さないよう保守的になって、企業人として上辺の付き合いだけが増えていく──。企業社会で生きていれば、自然に発生する負の側面のようにも感じていましたが、僕はビジネスマンとして人生を歩んでいく上でどうも釈然とせず、自分の態度はどうあるべきか戸惑っていました。 見城社長は、そういった疑問に対して何が大切で無駄か、初めてはっきりと僕に教えてくれた人でした。 この文章と藤田さんのブログからサイバーエージェントの株価の推移を重ね合わせると、一人の漢の顔が思い浮かぶ。 見城徹!さん 判断と決断の日々の中、どれほど見城さんの言葉に救われたのか想像に尽くしがたい。 会社やプロジェクトの目標設定をするときに、人は評価を気にするあまり、自分ができることの範囲内でしか目標設定をしない。 新しい挑戦や未知の自分を追い求める行為は、不安と恐怖との闘いである。 圧倒的努力の末、自分に何ができるのか。 プロセスではなく結果で判断される世の中。 憂鬱になればなるほど、見城さんの言葉が暗闇を照らす灯りになる。

前へ次へ
勇のトーク
トーク情報

  • 迷うな女性外科医 泣くな研修医7」中山祐次郎 著 (幻冬舎文庫)を読んだ。
    藪医師こと中山祐次郎 先生のメッセージが込められた作品だと思う。 
    大腸がん検診、便潜血検査を定期的に受診をしていれば救えたはずの命。
    命の「繋がり」。
    引き継がれたものを次の世代へと引き継ぐ。
    死に対する恐怖や不安も、自分自身が「つなぎ役」になることによって、柔らげることができる。
    そんなことを痛烈に感じた。

    「迷うな女性外科医」を読みながら、必要以上に自分の体験と物語がクロスオーバーしていた。
    つまり、映像的たった。
    他には、「ずっと やりたかったことをやりなさい」ジュリア キャメロン著 などのモーニングルーティンもしてみたくなった。
    頭の中にあるものを全て吐き出す。
    小説の中の「グリーフワーク」と近しいものがあると感じた。

    それにしても、中山先生は、感情の揺さぶりが上手い。
    涙が自然と溢れる瞬間が何度もある。
    感情のツボを押す技術が高い。
    想像するに、手術の手技も抜群の安定感なのだと伺いしれる。
    焦って失敗を繰り返してしまう自分自身からは羨ましい限りだ。

    いずれ、映像化されると思います。楽しみです。
    見城さん、素敵な本をこの世に送り出して頂きありがとうございました。
    中山先生、物語を通して沢山の学びをありがとうございます。激務の中、身を削り、執筆して頂きありがとうございました。
    感動しました。


  • 見城さん、「迷うな女性外科医 泣くな研修医7」のリトーク、ありがとうございます。
    励みになります。


  • ゴメンナサイ。
    つい、謝ってしまうほどワクワクします。
    見城さん、会話が面白すぎます。
    ラジオならではの見城さんの気遣いを感じることができます。
    時代をつくってきた方々の会話から、とてもつない学びを得ることができます。
    まだ、3回しか聴き直してないですが、聴けば聴くほど新たな発見があり楽しいです。
    特に、ラジオの終盤にかけて話が盛り上がり、続きが聴きたくてたまらなくなってきました。
    ネットでしか林真理子さんの現況を知ることができなかったので、日大に対する想いが聴けて良かったです。
    是非、見城さん編集で林真理子の本を作り上げて欲しいです。
    総合プロデューサーの秋元さん。
    見城さん、ありがとうございました。

  • ↑見城さん
    お忙しい中、リトーク頂きありがとうございます。
    尾崎豊さんの楽曲の数々のエピソードにて。
    事実を盛らずに正確に話すことで、誠実さが伝わることを改めて感じました。
    ありがとうございます。

  • 見城徹見城徹
    投稿画像

    見本が上がって来た。読み始めたら止められなくなった。もう泣きそう。
    [スタンド・バイ・ミー]日本版。12月18日発売です。


  • 誰にも忘れられない夏の日。
    僕にとってのその一日は、クライフ監督がスタンドの僕らに手を振ってくれた日でもあった。
    1990年、夏だった。

    「あの夏のクライフ同盟」増山実 著(幻冬舎)を読んだ。
    クライフ同盟と同じように、僕も目新しい人や物との出会いは、全て、雑誌や本からだった。
    世代や地域が違うのに、「憧れ」との接触の仕方が、僕の人生とシンクロする。
    これだけの細かい情報を詰め込んだ小説なのに惹きつけられてしまう。
    「官能」という言葉に妄想。
    五感から入る情報に敏感に反応し、過激に妄想する。
    「あるあるネタ」のオンパレード。
    「あの夏のクライフ同盟」一冊さえあれば、初対面の人とでも話ができる。
    そんな小説だ。
    古書店の主人が言う。
    「大人になったらな、そげな本はなんぼでん、買える。けんどな、その時、お金を払うた時に、失うもんもある。」
    「しっかりと目に焼き付けて、いつでも取り出せるようにしちょけ。」
    まさに、その通りである。
    目に焼き付けて、いつでも取り出せるようにしておく。
    僕が、クライフ監督を間近でみた日。スタジアムには、米米CLUBの「浪漫飛行」が流れていた。
    旅立たないとな。

    見城さん、過去の自分を思い出す、良いキッカケになりました。
    書籍の紹介、ありがとうございました。

  • ↑見城さん、12月の多用の中、リトークありがとうございます。
    「あの夏のクライフ同盟」の頃と、なんら頭の中は変わってないと痛感しました。
    せっかく、この世に生まれてきたので、あの頃のように、もっと五感を研ぎ澄ませていきたいと思います。
    ありがとうございました。

  • 見城さん
    誕生日おめでとうございます!
    この一言を伝えることができる喜びを感じています。
    まさに755は奇跡のSNS。
    このような場を提供して頂いている、藤田さん、ありがとうございます。