PJ_takaのトーク
トーク情報- Kst
Kst 小川糸さんの「ライオンのおやつ」
人を生きるとは…ろうそくを例えとして書かれていた。
その通りだと思った。
自己を検証して、自己を否定して、自己嫌悪になる。
人は生まれる、生かされ、誰かに光を与えているのだ。
長文ですが、抜粋させていただきます。
P.248
人生というのは、一本のろうそくに似ていると思います。
ろうそく自身は自分で火をつけられないし、自ら火を消すこともできません。一度火が灯ったら、自然の流れに逆らわず、燃え尽きて消えるのを待つしかないのです。時には、あなたの生みのご両親のように、大きな力が作用していきなり火が消えてしまうことも、あるでしょう。
生きることは、誰かの光になること。
自分自身の命をすり減らすことで、他の誰かの光になる。そうやって、お互いにお互いを照らしあっているのです。きっと、あなたとあなたを育ててくださったお父様も、そうやって生きてこられたのだと思います。
ライオンの家のエントランスには、一晩中、雫さんの死を弔うためのろうそくの灯が灯されていました。一昨日は珍しく、風の強い晩だったのです。けれど、火は決して消えることなく、燃え尽きました。そして最後は、すっーと、静かに息を引き取るように消えて、煙が空に吸い込まれていきました。
あの、空に消えていくひとすじの煙こそ、人間でいうところの魂ではないかと私はひそかに思っているのですが、どうでしょうか? - Kst
Kst カツセマサヒコ著「傷と雨傘」の序文より
眠れない夜や起きられない朝には絶望が忍び寄って、私やあなたを痛めつけている。社会はいつも私たちを主人公にはせず、地球という球体の上の、退屈や窮屈や羞恥や嫉妬や暴力や差別や搾取で、私やあなたを殺そうとしてくる。
助けを求めようとしてもこの星は、私たちを一つのパーツとしてしか捉えてくれない。たとえ死んでも平常運行して、昨日と変わらない、「何もない一日でした」とカウントする。
つまりそれは、誰も特別じゃないということ。
ならば、誰もが特別であるということ。
そう勘違いしたい。私もあなたも、特別で、全員が主人公になる。決められた台本はなく、好き勝手に演じる。時には、自分の嫌いな人間にもなる。好きだった人にひどい言葉を投げかけてしまったり、大切な人に不義理をしたりする。誰かの恋敵となり、子から嫌われる親になり、世界に絶望したりする。
それでも、愛すべき、愛されるべき存在として、ここにいる。時には、大盛りのカップラーメンを平らげ、友人のかけがえのない親友役に選ばれ、嬉しくて泣いたり、悲しくて笑ったりする。
この星は大きな劇場。違うのだけれど、そう仮定して。ならば太陽と月はスポットライト。海や木々は音を立てて、神が宿る舞台装置。感情が波立つたび、光が反射して、傷も痛みも映し出す。寂しさや後悔さえも、くっきりと輪郭を見せて、私やあなたの顔を覗き込む。
無限に分岐を続ける人生。そのうちわずか、34名分。
私やあなたも抱えているような、それぞれの傷と、雨傘となる言葉を集めて、小さな一歩に迷ったり、踏み出したりする物語集ができました。
どうか、どうか。
あなただけの傷や、痛み 寂しさよ、誰かを守る雨傘になれ