言葉は、思考の源であり、魂の輪郭である。この言葉の意味が、少しずつ腑に落ちてきた気がしています。人はどれだけ立派な考えを持っていてもどれだけ強い覚悟を抱えていても、それを言葉にできなければ、誰にも伝わらないし、現実も動かない。逆に、苦しんででも言葉にできた時、それはきっと自分の中にある本音や過去や信念の形をつかんだ証なのだと思います。
見城さんが苛酷に自己検証し、言葉にできたとき人生は動き出すと言ったように、言葉は、ただ伝える手段ではなく、自分がどう生きてきたか、そのものなのだと感じるようになりました。僕自身これまでたくさんの文章を書き、何度も直してきた中でようやくほんの少し、自分の魂の輪郭に触れられてきたのかもしれません。
言葉で生きてこられた方から、本物の言葉を教えていただけたこと。過去にある方へ手紙を出す際には、見城さんに添削までしていただいたという信じられないような経験もありました。あの時間は、今も静かに胸の中で息づいています。
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