又江原 力のトーク
トーク情報又江原 力 K0183K0183 見城さん、755の皆さま、こんにちは。
今日三月十九日は、恩師の一人の命日。もう亡くなってから二年になる。早いな。
世界的な脳外科医。「神の手」「ゴッドハンド」「ラストホープ」と称賛され、生涯、現場に立ち続けた人。テレビにもよく出演されていたから、皆さまもきっとご存知だろう。
亡くなる数ヶ月前に、最後に来日した際、おそらくご自身がそう長くないことを知っておられたと思う。米国へ帰路につかれる先生が私に気づき、こう声をかけてくださった。
「先生も頑張ってね」
あの短い一言の温度が、今も消えない。あれはきっと先生なりの別れの言葉だったのだ。
五十年以上にわたり、過酷な戦場に立ち続けた。
その背中は、追いかけても届かない。
けれど、進むべき方向を照らす灯であり続けている。
そして今日は、東京の桜の開花日でもある。
師走に書いた。かつて「来年の桜を見られたら、死んでもいい」と言った患者さんのこと。
その桜は、今年も咲いた。
恩師の命日に、桜が咲く。
偶然にしては、あまりにもできすぎている。
桜を見たかったあの患者さん。
最後まで現場に立ち続けた先生。
一方は咲く前に散り、一方は散るまで咲き続けた。
私は今年も、桜を見る側にいる。
恩師が残してくださった火を消さぬよう、あの患者さんが見たかった桜の下で、今日も現場に立ち続ける。
先生、今も頑張っています。
正直、誠実、善良、真心。
本日もよろしくお願い申し上げます。- 又江原 力
又江原 力 K0183さん
"私は今年も、桜を見る側にいる"
この言葉が胸にズッシリと響き、「有為転変」が浮かびました。
世は常に移り変わり儚いもの、その流れの中で我々も必ず桜が見れなくなる。
この桜のような短い人生をどう生きるか。
風に流されるのか、抗うのか、狂い散るのか。
他者のために生き、何度も何度も裏切られ、騙されて、あしらわれ、軽んじられる。
自己本位で生きるのが、他者にとっても自分にとっても良いだろうと変化した。
それでも最近は「他者のために役に立ちたい、期待に応えたい」と思えるようになってきた。
以前は実力が伴っていなかったのだろう。だから絵空事、綺麗事になっていた。
まだまだ未熟だが、もう一度他者と向き合おうと思う。幸いにも頼ってくれる仲間もいる。
誰かのために散るのも美しい。
理解を求めず、誤解を恐れず、一歩を踏み出す。
そう思うための勇気をもらえた投稿でした。
これからもよろしくお願い致します。 - 又江原 力
又江原 力 K0183さん
リトークとコメントありがとうございます。
温かくも厳しくて切ない、悩み苦しみながらも生き抜かれている姿に、私も勇気を頂いています。
珍しく家族のグループLINEで父親が投稿しました。誕生日にプレゼントした帽子を被っていました。
アウトドアブランドの帽子ですが、ブランドも知らずに被っていたのが父親らしいです。
私も故郷を捨てて生きています。両親も応援してくれていますが、寂しさもあると思います。
当時は無我夢中だった、早く故郷を出たかった。両親の事は何も考えていなかった。そして沢山迷惑をかけた。
当時の選択が正解は分からない。できる事は正解だったと思えるように今を生きる。
来年の桜が見れるとしたら、今年とは違った想いで見れるだろうか。
まだ間に合うものがあると信じて。
一日一生。 又江原 力 見城徹見城徹 本日の静岡新聞夕刊の僕の連載コラム[窓辺]です。
『755』(2019.2.4掲載)
755というトーク・アプリがある。逮捕され、服役していた堀江貴文が出所して、親友のサイバーエージェント社長・藤田晋と作ったSNSだ。因みに、755は堀江の囚人番号である。2人に頼まれてスマホなど使ったことがなかった僕が、覚束ない手つきで始めてみた。
2回の中断後、2016年2月10日から再開し丁度3年、ウォッチ数も600万近くになる。見知らぬ人たちからの質問に答えるのだが、その中に僕の熱狂的ファンだと言ってくれる「長太郎飯店」というユーザーに気づいた。トークに行くと美味しそうな中華料理の写真をたくさんアップしている。所在地が静岡市清水区だというのも心惹かれ、時間を捻出して高校の同級生を誘って行ってみた。水餃子、油淋鶏、里芋のスープ、ガーリック炒飯、茄子そば…。ごく普通の中華屋なのに出てくる1品1品がとんでもなく美味しい。今や豚まんは全国的に有名で韓国にも進出した。
オーナー・シェフの石田雅也さんは物静かなナイス・ガイ。以後、755で僕を慕ってくれるユーザー達と何度も訪れている。
755は不思議な仮想空間だ。見ず知らずの人たちとネット上で会話し、心が通い合えばリアルな世界でも親しくなって行く。長太郎飯店に出会わせてくれたのも755だ。朝のベッドの上。仕事から仕事へ向かう車の中。寝る前の書斎。かくして僕は、今日も無名だけれども懸命に生きている人たちに想いを馳せながら心を込めて文字を打ち込む。

