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吉田真悟

今朝、知人の息子さんの訃報を聞いた。まだ中学生だったそうだ。かける言葉が見つからない。 すぐに映画『20歳のソウル』を観たいと思った。名前も顔も知らないもう一人分の人生が重なる筈だ。泣きながらエンドロールに流れるJasmineを聴いて浄化されてこよう。 #20歳のソウル #おかわりソウル

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前略 見城先生
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  • 吉田真悟
    吉田真悟
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    ↓この方のブログより

    上映前の静かな映画館で、スクリーンを見つめながら、隣に座る娘の存在を感じていた。
    「この子と一緒に映画を観られる幸せ」を噛みしめた瞬間だった。まさか、この2時間で自分の人生を振り返ることになるとは、この時は思ってもいなかった。

    冒頭から、もう涙が止まらなかった
    鈴木京香さんが演じる横田選手のお母さんが画面に映った瞬間、もうダメだった。母親の愛は無条件で、無限だ。その眼差しに、胸が締め付けられた。
    でも父親として観ていた自分は、次の瞬間、父親の姿に自分を重ねることになる。
     
    高橋克典演じる父親が、自分に見えた
    スクリーンの中の父親が、自分に見えた。息子を見守る父親の眼差し。何も言えない、でも全てを背負おうとする父親の姿。「頑張れ」とは言えない。ただ、側にいることしかできない無力さ。
    「ああ、この気持ち、分かる…」と心の中で何度も呟いた。高橋克典さんの演技が、父親の痛みと誇りを完璧に表現していた。言葉にならない感情が、彼の表情から溢れていた。
     
    子どもが親より先に逝くということ
    この世で最も残酷なこと。それは、子どもが親より先に逝くことだ。横田選手を失った父親の姿を見て、胸が締め付けられて息ができなくなった。
    「これだけは絶対にあってはならない」と思う親心。でも、横田選手の家族はその現実と向き合い、それでも前を向いた。その強さに、涙が止まらなかった。涙で画面がにじんで、何度もハンカチを握りしめた。
     
    あの頃の自分が、スクリーンの中にいた
    横田選手が病院のベッドで苦しむシーンで、全てが蘇った。
    自分の悪性リンパ腫との闘い。抗がん剤治療の日々。吐き気、倦怠感、体が自分のものじゃないような感覚。点滴を見ながら時間が過ぎるのを待つだけの日々。天井の染みを数えながら、「なんで自分が…」と何度も思った。
    「もう、やめたい」
    何度そう思ったか。横田選手が治療を投げ出したくなる気持ちが、痛いほど分かった。あの絶望感、あの孤独感。体の痛みよりも、心が折れそうになる瞬間。スクリーンの向こうの彼に、自分の姿が重なって見えた。
     
    完治した今でも、忘れられないこと
    今、悪性リンパ腫は完治した。でも、あの頃の記憶は消えない。治療の辛さは、体が覚えている。
    もっと辛かったのは、先が見えない不安だった。
    「また元の生活に戻れるのか」「社会復帰できるんだろうか」「仕事は?家族は?この子の将来は?」
    病室の窓から見える街が、遠い世界のように感じた。病気そのものよりも、未来が見えないことが怖かった。「元の自分」に戻れるのか、それが一番怖かった。家族を支えられるのか、父親として立っていられるのか。
    横田選手も、同じ不安と戦っていたはずだ。グラウンドに戻りたい、でも戻れるのか。野球選手として、また輝けるのか。
    その不安の中でも、彼は諦めなかった。
    だから、彼の姿に涙が止まらなかった。「横田選手、よく頑張ったね…本当によく頑張ったね」と、心の中で何度も声をかけた。
     
    「一日一生」という言葉が、胸に刺さった
    この言葉が、映画の中で何度も響いた。
    一日一生。
    治療中の自分に、この言葉が必要だった。明日を見ることができない不安の中で、「社会復帰」という遠い目標よりも、まず「今日」を生きることが精一杯だった。
    でも、その「今日」を積み重ねた先に、今がある。横田選手が体現した「一日一生」の生き方。自分も今、娘と「今日」を生きている。こうして映画館で隣に座れていることが、どれだけ奇跡的なことか。
    あの頃の不安は、今こうして報われている。社会復帰できた。娘の成長を見届けられている。生きていて、本当に良かった。
     
    野球を通じて繋がった、父と娘の絆
    小さな手を引いて、ZOZOマリンスタジアムへ通った日々を思い出した。千葉ロッテの試合を一緒に観戦した思い出。最初は意味も分からず応援していた娘。
    治療中も、この子との時間を思い描いた。点滴を受けながら、この子の笑顔を思い浮かべた。「また一緒に野球を観に行きたい」それが希望だった。「もう一度、一緒に野球を観たい」それだけで、もう一日頑張れた。
    今では中学生になり、野球部のマネージャーになった。野球の見方が深くなった娘だからこそ、横田選手の生きざまが理解できた。選手を支えること、諦めないこと、困難と向き合うこと。野球を通じて、娘は「生きる」ことを学んでいる。
    隣で静かに泣いている娘に気づいた時、「ああ、この子は分かってるんだ」と思った。
    同じシーンで一緒に泣けることが、父親として本当に嬉しかった。この瞬間があるから、あの辛い治療を乗り越えてこれた。今、隣に座ってくれているこの子が、私の命を繋いでくれたんだ。
     
    それでも前を向く、家族の強さ
    横田選手を失った後も、家族は前を向いた。悲しみの中でも、横田選手の生き様を語り継ぐ家族。その姿に、「愛」の本当の意味を見た。
    人は死んでも、その生き方は残る。横田選手は、今も多くの人の心の中で生き続けている。自分も、「一日一生」を生きていこうと強く思った。
    エンドロールが流れる中で
    立ち上がれなかった。娘も、じっと座っていた。言葉はいらなかった。ただ、この感動を2人で共有していた。
    映画館の赤い座席に座ったまま、余韻に浸った。暗闇の中、娘の横顔がスクリーンの光に照らされていた。「明日から、また頑張ろう」と思えた。
     
    最後に
    この映画は、野球映画じゃない。人生の映画だ。
    「一日一生」という生き方を教えてくれる映画だ。野球を知らなくても、絶対に心を動かされる。
    特に、何かと闘っている人に観てほしい。病気と闘っている人。不安と闘っている人。子を持つ親すべてに観てほしい。そして、大切な人と一緒に観てほしい。
    この映画は、きっとあなたの何かを変える。きっと、明日を生きる勇気をくれる。
    ありがとう、横田選手。
    あなたの「一日一生」の生き方に、勇気をもらった。治療の辛さも、社会復帰への不安も、全部乗り越えてこれたのは、あなたのような人たちがいたから。
    ありがとう、娘。
    一緒にこの映画を観られて、父さんは幸せだよ。父さんが頑張れたのは、君がいたからだ。
    明日からまた、一日一生で生きていこう。

    『栄光のバックホーム』の詳細はこちらの公式サイトからご覧いただけます。
    皆さんもぜひ、ご覧になってみてください。