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吉田真悟

その① 映画『栄光のバックホーム』と横田慎太郎選手の生涯に寄せて―作家・小松成美 2025.12/1 18:00 見城徹さんからの1本の電話 今年10月、幻冬舎の社長・見城徹さんから1本の電話がありました。iPhoneの画面に浮かぶ名前を見て大急ぎで出ると、私の耳に届いたのはこの言葉でした。 「観てほしい映画があるんだ」 見城さんは続けてこう言いました。 「小松、俺は、この作品を命懸けで作ったんだよ」 見城さんの「命懸け」という言葉に私はドキリとして、息を飲みました。見城さんの言葉に嘘がないことを誰よりも知っているからです。 「世に送り出すべき作品だと思えば、どんな逆風があっても必ず書き上げろ」と、常に私の執筆を支えてくれた見城さんは、言わば作家小松成美の“産みの親”です。中田英寿さんや中村勘三郎さん、浜崎あゆみさんといった時代を分ける人物の取材ではたびたび大きな困難に見舞われました。それでも、最後まで完走し、本を書き上げることができたのは、見城さんの「伝えることを諦めない」という強い使命感に導かれたからでした。 電話から聞こえる見城さんの声が少し震えていることがわかりました。 「俺は、横田慎太郎との約束を果たすために、命を懸けたんだよ」 私の目の前に、若いタイガース選手の顔が浮かびました。未来を嘱望されながら病魔に襲われ、2019年に24歳で引退した横田慎太郎選手のことはニュースで知っていました。 見城さんと監督である秋山純さん、大勢の俳優とスタッフ陣は、2021年から横田さんの野球人生を描く映画を制作し、ついに完成させていたのです。 その映画は、11月28日に公開された『栄光のバックホーム』です。(注:以下映画の内容に触れています。ご注意ください。) スクリーンに映し出されたのは、野球を愛し、野球に愛された一人の青年の物語。阪神タイガースにドラフト2位で入団した横田慎太郎選手。21歳で不治の病を発症し、28歳でその生涯を閉じるまで、野球と家族と仲間を愛し続けた彼のひたむきな姿には涙が止まりませんでした。 横田慎太郎さん、プロ入りから脳腫瘍発覚まで 慎太郎さんは1995年6月9日、鹿児島県に生まれました。父はロッテなどで活躍した元プロ野球選手の横田真之さん。野球選手を父に持った慎太郎さんは、鹿児島実業高校時代にチームの中心選手として活躍します。甲子園出場は逃したものの、その野球センスがスカウトの目に留まり、2013年のドラフト会議で阪神タイガースに2位指名されたのです。 持ち前の負けん気と、誰からも愛される人柄。監督やコーチ、先輩たちに愛された慎太郎選手は、厳しいプロの世界でも立派に成長を遂げていきました。 2016年の開幕戦では、金本知憲監督(当時)から一軍のスタメンに抜擢され、見事に初ヒットを放ちます。 順風満帆な野球人生が待っていると思われたその矢先、慎太郎選手の体に異変が起こりました。目が見え辛く、ボールが二重に見えるのです。医師による診断結果は、脳腫瘍。21歳の若者には残酷すぎるものでした。 その日から、慎太郎選手の過酷な病との闘いの日々が始まったのです。 しかし、彼は孤独ではありませんでした。母のまなみさんをはじめとする家族、阪神タイガースの首脳陣、コーチ、チームメイト、 タイガースの番記者たちなど、慎太郎選手を愛してやまない人たちの懸命な応援が、彼の心を奮い立たせました。 そして2019年9月26日、引退試合で慎太郎選手が魅せた「奇跡のバックホーム」。視力は全く回復していませんでしたが、センターでボールを捕球し、そこから矢を射るような返球を見せたのです。

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前略 見城先生
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