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荒木賢二郎

自分が初めて「深夜いたりあんあかはる」に足を踏み入れたのは、もう10年以上前のことだった。 歌舞伎町の奥、雑居ビルの地下にひっそりと佇むその店は、キャバクラや風俗店がひしめく場所の一角にあり、どこか乱雑で落ち着かない雰囲気が漂っていた。 その日は歌舞伎町の第一メトロビルにあった友人のバーが閉店することになり、最後の客が自分とその友人だった。 閉店時間を過ぎても、名残惜しく過ごす最後のひとときを過ごし、店を出ると朝6:30、なんとなくそのまま家に帰る気にはなれなかった。 「もう一軒寄ろうか」と友人が誘ってくれたのが「あかはる」だった。 当時朝7時まで営業していたその小さな店は、どう見てもスナックの居抜きで。 カウンターだけのシンプルな作りで、床も小さなハイチェアも赤いベロアだった。 イタリアンということでメニューは友人に任せて、閉店した店のことを考えていた。何を食べたのか、正直覚えていない。それでも、官能的に美味かったかったことは覚えている。 その日から深夜に一人で通うようになっていった。 店主の赤春さんとも色々な話をした。 彼は強面なアウトローで、髭面に長髪をたらし、酔っ払った客が気に入らなければ、店を気分で閉めてしまうこともあった。けれども、料理の腕は超一流で、彼の一皿にはいつも驚かされていた。時には週に2、3回通うこともあった。彼の影響で、イタリアワインにハマり、色々な店を紹介してもらい、また紹介し、酒と食事、仕事のことまで語り合った。 あの店があったからこそ、歌舞伎町の深夜が少し特別な場所になったような気がする。今はお店も改装されてすっかり綺麗になってしまったが、今でもあのカウンターに座ると、あの頃の気持ちがふと蘇る。 当時浴びるように飲んでいた一番安い白ワインの味を今でも覚えている。 EDDAは最高だけれど、無性にあの時のワインが飲みたくなってしまった。

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荒木賢二郎の日常
トーク情報
  • 荒木賢二郎
    いぶこまいぶこま
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    755同窓会
    大人になってから密に友になったのは755だったし、その友情を育んだのは渋谷の松五郎だった。
    今や、ホリエモンと一緒にビジネスしたり、結婚したり離婚してたりビジネスパートナーだったり色々だけど、間違いなく755がなかったら今夜はなかった。

    755ありがとう。
    厨七代目松五郎ありがとう。

  • 荒木賢二郎
    森貴代江森貴代江
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    サウザーさん、荒木さん、Noumiくん、いぶこま そして第1期の皆様

    今日もありがとうございました。
    皆さんに最後集まっていただけてすごく有り難かったです。
    とにかく思い出がたくさんあり過ぎて、毎日誰かしらが松五郎に来てくれて、松五郎にいれば誰かに必ず会える。そんなお店でいられたことが本当に嬉しかったです。
    みんなにとって第二の青春だったと言ってもらえたのも、とても感慨深かった。

    755で皆さんと出会えたこと、松五郎でたくさんの時間を一緒に過ごせたことに心から感謝しています。

    リニューアルし生まれ変わると、思い入れがなくなってしまうと思います。。。
    第三の青春をまたみんなで過ごしてください。また皆さんと時間を過ごさせてください。
    今後ともよろしくお願いいたします。

  • 荒木賢二郎
    荒木賢二郎

    10年前、2015年に会った友人たちとは今も飲んだり遊んだり仕事したりと関係が続いているけれど、

    20年前、2005年に会った友人たちとなると…ほとんど関係が途絶えている気がする。

    たぶん違いは、場所と役割だと思う。

    松五郎という場所があって。でも場所だけじゃなく何かとやることがあり役割があり。場所と役割が揃うと居場所ができる。

    たまに顔出さなきゃとか、誕生日とか、カウントダウンとか、デートとか、飲み会とか。

    自分がいてもいい居場所を作ってくれた森さんと松五郎に感謝。

    きっと10年後の5月にも、ここで飲んでると思う。
    願わくばその時も店舗名が松五郎だといいな。