三上雅博のトーク
トーク情報三上雅博 見城徹見城徹 静岡県立清水南高校は海のすぐ近くにあった。
僕は海が良く見える窓側に席を取り、つまらない授業中はずっと海を眺めていた。海上を進む大型船や雲の流れを追っていると空想が膨らみ飽きることがなかった。放課後はほぼ毎日浜に出て、
青春の感傷を海にぶつけていた。高校の3年間僕は海と共にあった。卒業式の日、1学年下の初恋の女生徒と校門で待ち合わせて、折戸の浜を富士山を仰ぎながら三保の松原に向かって歩いた。初めてのデートだった。潮風が憧れ続けた彼女の漆黒の髪をなぶり僕の頬に当たる。甘やかな香りがした。今思えば僕の人生で一番幸福な瞬間だった。ただただこの時間が永遠に続いて欲しいと祈るような気持ちだった。折戸の浜には僕の青春が埋まっている。折戸の海と空と風によって僕は作られた。今でも重大な決断をする前には折戸の海に行く。海を眺めながら覚悟を決めるのだ。74歳になってしまった。思いもよらない人生だった。遠くまで来てしまった。こうして海を見ているとあの日に戻りたいと強く思う。
何にも無かったけれど、幸福だったあの日に。三上雅博 見城徹見城徹 1日が始まり、1日が終わる。いつの間にか時間が過ぎる。その毎日が積み重なって人は歳を取る。
10年前が昨日のように思える。即ち10年後も明日のように来ると言うことだ。若い頃は時の流れが遅い。歳を取るに従って流れが早くなる。2024年の12月29日に僕は74歳になった。もう今日は2025年の3月25日。約3ヶ月が一瞬のようだ。だから、10年後の84歳もすぐに来る。老人になると意識の中の時間では[死]は既に目の前にある。切ないが、それが生まれ落ちた全ての人の定めだと考えると気が楽になる。だから、若いうちは極端に生きるべきだ。物理的にもそうだが、意識の中の時間は無限にある。つまり、失敗も無限に修正出来る。何度でも立ち直れる。安全策で自分を守るのはつまらない。どうせ最後は死ぬのだ。永遠の[無]に還るのだ。この世に生きて在る時ぐらいスリルに身を焦がさずして何の実存か?人生を危険に晒す。僕はそう思って74歳まで来た。[死]まであと一瞬。狂ってこそ人生。
いや、狂わなけりゃ、やってられない。だろ?
