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TETSUO

世間でも自身の身の回りでも不条理なことが多過ぎて放心状態。   人間含め万物に実体などなく、関係性が存在を規定してる‥という仏教哲学のコアな思想が人間社会に合致していて感心する他ない。   関係性がすべてだとすると感情では自身の存在、未来をコントロールすることはできない。 良かれと思ってやったことが自身の存在を危うくすることだってある。いや、現代はそんな人ばかりだ。   感情が象、理性が象使い、そして象を規定しているのは象同士の関係性と、その環境(生活習慣や社会規範など)だとすれば、もはや何を信じて生きればいいのか。

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てつおの部屋
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    投稿画像

    画像のAとBは同じ色。
     
    ブラックな環境の中では自身がブラックであることが認識できなくなる。

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    「他者という異物を自分の中に抱え切れないなら、人と交わってはいけない。自分を憎む者のために祈れ。自分を理解しない者のために死力を尽くせ。」
     
    というあの方の言葉が、今の自分にとって大きな支えとなっている。人間関係を表現するには、これ以上の言葉はないと思う。
    凄い言葉だ。

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    TETSUO

    「誤解される人間の姿は美しい。誤解のカタマリのような人間こそほんとうだと思う。ありのままの姿で自他ともに納得し、安心するなんて、空虚だ。」
     
    岡本太郎の言葉に救われます。

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  • TETSUO
    TETSUO
    ナナ散歩だよ
    再びの(ごめんなさい、私の知る限りで🙇)ご登場ご掲載おめでとうございます❗️縁に触れ多'才'に移り変わりゆく紫陽花の花の色彩りに乗せて、お祝い申し上げます👏👏👏(ご無沙汰してましたので、ごめんなさい、遅くなりました)

    いつもありがとうございます。
    ナナさんのお言葉に救われます。

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  • TETSUO
    TETSUO

    カフカの寓話に、「カラスは天国を破壊できるかもしれないが、それは無意味だ。天国とはカラスが存在し得ないことそのものだから」とある。
    かつては話の通じない相手に苛立ちを感じていた僕だが、今では互いの世界線が交わることもあれば、交わらないことも自然だと感じるようになった。それぞれが自由に生き、わかり合えなくてもそれで良いのだと気づいた。僕がかつて破壊しようとしていた“カラス”は自分自身だったのだ。けれど世界は壊れなかったし、壊れようともしなかった。他者の世界は、入り込めないことそのものによって守られている。その不可能性こそが、それぞれの天国なのかもしれない。互いの世界を壊さず、想像し合うことこそが尊いと静かに思うようになった。