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TETSUO
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歴史研究者の間でバイブルとされている東北大学教授 野家啓一さんの『物語の哲学』 その中の一節、「過去は原理的に未完結」という言葉をずっと考えてる。 過去は現在の「常識」という視点を介してしか認識できない。時間の経過の外部からではなく内部からしか観測できない。   最近の芸能、政治のニュース等を観ていてもそのことを強く感じる。時代の変遷が早い時代においては過去は常にアップデートされ続ける。当然、人の評価も言動の是非も変わり続ける。

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てつおの部屋
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    画像のAとBは同じ色。
     
    ブラックな環境の中では自身がブラックであることが認識できなくなる。

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    「他者という異物を自分の中に抱え切れないなら、人と交わってはいけない。自分を憎む者のために祈れ。自分を理解しない者のために死力を尽くせ。」
     
    というあの方の言葉が、今の自分にとって大きな支えとなっている。人間関係を表現するには、これ以上の言葉はないと思う。
    凄い言葉だ。

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    「誤解される人間の姿は美しい。誤解のカタマリのような人間こそほんとうだと思う。ありのままの姿で自他ともに納得し、安心するなんて、空虚だ。」
     
    岡本太郎の言葉に救われます。

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    TETSUO
    ナナ散歩だよ
    再びの(ごめんなさい、私の知る限りで🙇)ご登場ご掲載おめでとうございます❗️縁に触れ多'才'に移り変わりゆく紫陽花の花の色彩りに乗せて、お祝い申し上げます👏👏👏(ご無沙汰してましたので、ごめんなさい、遅くなりました)

    いつもありがとうございます。
    ナナさんのお言葉に救われます。

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    TETSUO

    カフカの寓話に、「カラスは天国を破壊できるかもしれないが、それは無意味だ。天国とはカラスが存在し得ないことそのものだから」とある。
    かつては話の通じない相手に苛立ちを感じていた僕だが、今では互いの世界線が交わることもあれば、交わらないことも自然だと感じるようになった。それぞれが自由に生き、わかり合えなくてもそれで良いのだと気づいた。僕がかつて破壊しようとしていた“カラス”は自分自身だったのだ。けれど世界は壊れなかったし、壊れようともしなかった。他者の世界は、入り込めないことそのものによって守られている。その不可能性こそが、それぞれの天国なのかもしれない。互いの世界を壊さず、想像し合うことこそが尊いと静かに思うようになった。