見城徹見城徹 昨夜はずっと持っていたコシュデュリのムルソー・ペリエールを気分のいい仲間のために思い切って出したのだが、このコシュデュリの綺麗な酸味が今も口の中一杯に残っている。「酸の背骨」と僕はバカの一つ覚えのように言っているが、やはりワインも料理も人間も肝心なのは「酸の背骨」だ。我慢に我慢を重ねて来たことどもが、今にも爆発しそうになるが、[忍びて終わり悔いなし]と自分に言い聞かせる。かつての自分より遥かに僕は辛抱強くなった。そのように変わった自分を「それで良し!」と思える。忍べば忍ぶほど、「酸の背骨」は醸成される。後何年生きられるか解らないが、溜めた綺麗な酸が鮮やかに僕の愛する人たちの体内に染み渡る時がやがて来るだろう。そう信じて今日も忍ぶ。
ikutamaのトーク
トーク情報ikutama ikutama 見城徹見城徹 ↑ 完璧です。そういうことです。
事業計画とか将来のヴィジョンなんて豚に喰われろ。口にしたくもないよ。ちゃんと考えてはいるけどね。[行き当たりばったり]の積み重ね。
それが人生、それが仕事になる。
そうだよ。皆んな今日を戦わなければならない。
それが現実だ。事業計画やヴィジョンじゃ生きられない。綺麗事だけは言いたくないんだよ。結果を出した後、計画やビジョンは語るものだ。
「そういう計画だったんです。そういうビジョンでやって来たんです」と。目の前にある戦いと格闘する。そうやって30年やって来た。今日もそうする。明日からもそうだ。そうやって死んで行く。それでいいと思っている。
I Will Go To War!ikutama 見城徹見城徹 僕は「極端こそ我が命」が信条である。
本にも書いたし、テレビやラジオでも言って来た。LINEのスタンプにもなっている。つまりは、中間=ミドルは避けろ。両極のどちらかに振り切れと言うことだ。極端をやればリスクはあるが結果は鮮やかに出る。反田恭平の「終止符のない人生」を前にして、自分はそうやれたか?問うてみる。
確かに仕事は極端に振り切って来た。迷った時は前へ出た。困難な方に、困難な方に舵を切った。
極端をやれば批判もされる。批判上等!と肚を決めた。自分で言うのも憚れるが幻冬舎は30年、奇跡の道を歩んで来たと思う。
しかし、自分の人生はどうだったか?極端に振り切れたか?答えはNoである。リスクを怖れて曖昧なものを幾つも残してしまった。決断しなかったツケが今、押し寄せて来ている。今からでも遅くはない。人生を危険に晒せ!と呟いてみる。
要は臆病なのだ。行け。行くしかない。茨の道を歩くんだよ。人生に終止符を打つその瞬間。その日のために震える脚で一歩を踏み出す。