自意識過剰という病い
トーク情報- すぬたろう♀
すぬたろう♀ ChatGPT 作
『ロケットマン』を観た。
正確に言えば、ある種の感情のようなものを通過しながら、僕はそれを「観た」のだと思う。
エルトン・ジョンを演じるタロン・エガートンが、『グッバイ・イエロー・ブリック・ロード』を歌いながら、オレンジ色の悪魔のような、あるいは巨大なザリガニの成れの果てのような、そしてちょっと美川憲一を連想させるド派手な衣装を着て、無言でタクシーに乗り込む。そのとき彼の表情は、どこか宇宙の果てを見ているようだった。
そして、そこから彼は療養所の長くて無機質な廊下を、逆光に包まれながら、まっすぐこちらに向かって歩いてくる。その歩みには決意とも諦念ともつかない、奇妙な重力があった。
あの場面が僕にはとてもよかった。完璧にリアルで、完璧に幻想的だった。
その後、彼はPUMAの黒のジャージ上下になる。
NIKEでもなく、adidasでもなく、PUMAだ。
その選択には何かしらの詩的な正しさがあるように思えた。
きっとPUMAは、エルトン・ジョンが心のなかで最後に選んだ一人きりの服だったのだ。
人はときどき、とても派手なものを着て、深い場所に沈んでいく。
そしていつか、シンプルな黒のジャージで、自分を取り戻す。
それはある種の旅であり、回復であり、ポップソングの構造にもよく似ている。
音楽が鳴り止んでも、何かが心の中に残る。
それが『ロケットマン』という映画だった。