昨日は自分の未熟さとかも含めてだけれど、重い石を飲み込んだようにいろいろ考えました。見城さんって、ばっさり袈裟斬りにしたとしても首の皮一枚残し情けをかけてくださる方なのだと思う。それは、私自身が実際に感じたことです。私の驕り昂る傲慢さや無知さ故なのだけれど、肥大した自我が暴走してしまう時、何度かお叱りを頂戴したことがある。自分ひとりがお白州にいるような気がしたけれど、755から見城さんからどうしても離れたくなかった。ここからなのだと思い、ずっと755を続けてきたのです。人間の本質を問われるのは、ここからなんだと思うのです。
前へ次へ