以下の文は『カラマーゾフの兄弟』の中の一節だが、自分にも〝絶対にSNSに書かないし、人から「それは誰ですか?」と質問されても決して答えない〟けれど、アリョーシャにとってのゾシマ長老の様な存在の人がいる。
まぁ…ゾシマ長老の最後の人々の反応は、ずいぶんとアレだけれど(苦笑)
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やはり圧倒的多数はもう疑う余地なくゾシマ長老の側についていたし、その中のきわめて多くの者が長老を心から、熱烈に、ひたむきに愛してさえいた。
なかには、ほとんど狂信的に惹かれている者もいた。
(中略)
アリョーシャにとってそんなことは問題ではなかった。なぜなら、彼はもうわが師の精神力を全面的に信じていたし、長老の名声は自分自身の勝利にもひとしかったからである。
(中略)
そう、労働と悲しみと、そして何よりも、常日ごろの不公正と、自分自身の罪ばかりか全世界の罪によっても常に苦しめられているロシア民衆の穏やかな魂にとって、聖物なり聖者なりを見いだして、その前にひれ伏し、礼拝する以上の、慰めや欲求など存在しないことを、彼はよく知っていた。〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
誰にとっても、その様な対象となり得る人物がいるのは、不思議な事ではないのかもしれない。
もっとも自分にとっての、その様な対象の人物は宗教家ではないがw
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