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【大藪春彦の食卓・第?回目】
朝倉哲也が二人を誘ったのは、狭い大和田通りにあるホルモン焼きの店 "アリラン"であった。薄汚い店だ。
肉汁の燃える煙が立ちこめる店内では、ジャンパーや作業服姿の目付きの鋭い男たちが、声高にわめき合っている。
三人は隅のテーブルに着いた。石田と湯沢は場違いなところに放りこまれたように不安な表情を浮かべた。
「ここのホルモン焼きは本物のトンチャンを出すんですよ。飲みものは?」朝倉は二人に愛想よく尋ねた。
「ビールでも貰おうか」「俺も」二人は体を縮めながら答えた。
先客たちは背広姿の彼等に鋭い視線を送ってよこす。
注文をとりに来た女中に、朝倉はホルモン焼きを三人前とビールと泡盛を頼んだ。
石田は作業服の男たちと視線を合わさないようにしながら「学生時代を想い出すよ」と、顔を引きつらせて笑って見せた。
やがて、炭火の熾った七輪と共に注文の品が運ばれた。ビールの栓を抜いて女中は去っていく。
大きな容器に入れられているのは、朝倉の言葉通りに本物であった。
赤や紫の臓物が血の泡のなかでのたくり、それには分厚く唐ガラシの粉がへばりついている。タレは強烈なニンニクの匂 いがした。
「こ、これを食うのか?」
「え、遠慮させてもらうよ」
石田と湯沢は辟易したようだ。顔色まで蒼ざめた。
「そう毛嫌いしないで試してみては? 生だとなおさら元気が出ますよ」
朝倉は血の淀みから子袋の切れはしを箸でつまみ上げて口に放りこみ、強靭な歯で噛み裂いた。口のまわりが血と唐ガラシで赤く染まる。
「も、もういいよ。ちょっと用事を思い出したんで先に失敬する」
「こっちも、女房に頼まれてた買い物があるもんだから。どうも御馳走さま」
二人は慌てて立ち上がった。朝倉も立ち上がった。
心から残念そうに「残念ですね......またお暇なとき付き合ってくださいよ」と、呟いた。
二人が逃げるように店から出ていくと、朝倉は慣れた手つきで臓物を炙り、旺盛な食欲でそれらを胃に送りこんでいった。これで石田たちは朝倉を飲みに誘わなくなるであろう。
貴重な夜の時間を浪費するには、朝倉はやらなければならない事が多すぎるのだ。
たちまち三人前の臓物を平らげた。その精分が細胞の一つ一つに吸収されていくような気がする。
ビールや泡盛のコップには手をつけず、代りに水を飲む。
勘定を払って店を出た朝倉は、タクシーを拾って上目黒のアパートに戻った。
大藪春彦『蘇る金狼・野望篇、P6以下』(角川文庫、昭和六十三年四十版発行)
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