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修治
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ウイリアム・フォークナーの最高傑作(アブサロム、アブサロム! がソレだと言う人もいるけれど)〝八月の光〟の序盤で、妊娠した状態で男に捨てられたリーナ・グローブが、身重の身体でアラバマからジェファスンまで馬車にも乗らず、鉄道も使わずテクテクと歩いて来る描写がある。 上で、男に捨てられた・・と書いたけれど、当の本人であるリーナはそう思ってはおらず、相手の男は先に別の町に行って、働きながら自分の事を待っている・・なかなか連絡が来ないのは何かの手違いがあっただけだ(と序盤では)考えている。 それでアラバマから、相手の男が働いている様だと当たりを付けたジェファスンまで、そんな身体で遠路遥々歩いて来て、それを言った相手を驚かせたり、呆れさす。 呆れさすのだが、同時に同情されたりもして、周りの人間からは『あんたの相手の男は、お目当ての場所に行ったって見つかりゃしないよ』と内心、思われながらも親切にもしてもらう。 道中で馬車に乗せてもらい、その馬車の持ち主の男性宅に泊めてもらう。 男性の奥さんはきびしい女性だったが、そんなリーナの事を〝バカな娘だ〟と思いつつも、自分で鶏を育てて、その鶏が産んだ卵を売って貯めたヘソクリをリーナに渡す。 リーナは遠慮しつつも相手の好意を受けとり、次の馬車に乗せてもらう際に、商店に入って、クラッカーとチーズ🧀と鰯の缶詰(オイルサーディン)を買って、馬車の上でクラッカーにチーズと鰯を乗せて美味そうに食べるシーンが描かれている。 以下はその描写 ↓↓↓ 彼女は食べ始める。ゆっくりと、落ち着いて食べ、指についた濃い鰯の油を丹念に、心からうまそうに吸いとる。 ここまで長々と書いたけれど、この日本人にとっては奇妙な組み合わせ・食べ合わせに思える〝クラッカー&チーズ&缶詰鰯〟というやつ。 実はコレは料理やってた人間からすると珍しくもなく、酒を飲む際のツマミとしてヨーロッパなどでも、よく見られる食べ方なのだ。 自分でも同じ食べ方はよくやるし、海外のオードブルのレシピ本や、ヨーロッパの他の作家が書いた物語の中にも、全く同じ食べ方が描かれている。 755は一回の投稿で画像が一点だけだから次の投稿にアップするけれど、自分はこの食べ方を、アドリア海で捕れた鰯で作る、クロアチア産のオイルサーディンとブルーチーズでよくやる。 クラッカーにオイルサーディンとブルーチーズを乗せて一口で頬ばる。 口の中で鰯の持つ脂と、鰯を漬けていたオリーブオイル、ブルーチーズの濃厚な味とクセのある香りが渾然となって実に美味い。 美味くてビールやウォッカ、ホワイトラムなどがよくすすむ。 気になった方がいたら、同じ食べ方をしてみると分かります。 コレはお酒が欲しくなる味だな・・という事が。

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修治のトーク
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  • 修治
    修治
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    2号店の後に、自宅に帰らずに1号店の方で映画を観ていた。観ていたのは1972年の方の『メカニック』(The Mechanic)
    ジェイソン・ステイサムのリメイクの方じゃなくて【ブロンソンの方のメカニック】といえば良いだろうかw
    明け方にお腹が空いたので、白菜とレタスとリンゴでサラダを作り、肉を焼いて、冷蔵庫の自家製ステーキソースをかけて食べた。美味しかった、お腹いっぱい⭐️
    食後にコーヒー☕️を飲んでたら、飼犬がご飯皿をくわえて『ボクにもゴハンちょうだい』というので...ステーキ用の牛肉を、味付けせずにフライパンで焼いて、カットしてからご飯🍚と混ぜて、ミルク🥛をかけ、さらにビタミン剤のタブレットを落として食べさせた。

  • 修治
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    珍しくまともに朝食を作った。明け方頃に、なんとなく味噌汁が飲みたくなったから。鰹と昆布の出汁の中に、茄子と大根の葉を入れて味噌汁を作り、自家製の塩鰆を焼いた。大根おろしを作り、沢庵を刻む。ソーセージは…正直言って、あまり食べたくなかったのだが(苦笑)ウエイトトレーニングを普通の人よりも激しくやる自分は、肉から得られるタンパク質と脂質の摂取の為に数本焼いた。
    この中で最も食べたかったのは味噌汁と沢庵で、実際に食べて最も美味く感じたのも、その2つだ。

    田舎出身の自分は、子供の頃に食卓に、特に朝食時のオカズに沢庵が出てくると、途端に不機嫌になったものだが、そのわけは子供の舌に沢庵というものは、特に美味く感じるものではないから。大体どこの家庭の子供もそうだろう。
    玉子焼きや、焼いたソーセージやハムなんかの方が、子供の口に美味いと感じられるのは当然だ。

    子供の頃に通っていた小学校の生徒達は、農村地帯の子供達と、町の子供達の2つの大まかなグループに分かれていた。まぁ町といっても田舎町である。単に農家が少ないというか、ほぼ無いエリアの、会社勤めや商店を経営している人達の住む地域を、自分の様な農村地帯の…その中でも特に〝部落〟と町の人達から意識してか無意識でなのか…軽く蔑称されているエリアの人間達は〝町〟と呼んでいた。

    町の子供達とは村の子供達も、学校では仲良くしていたから、町の子供達が朝食にどんなモノを食べていたのかは、聞いて知っていた。パン食の子供も多かったし、中にはコーンフレークなどという、40年前であれば、朝食にそんなモノを食べているのはハイカラな感じを受けた様な家庭も、町にはあった。
    勿論、町の子供達の中にも、朝食にご飯と味噌汁を取っている家庭も多かったのだが、部落の子供達との違いは、そのオカズである。
    彼等は朝食に、当時はかなり人気のあったマルシンハンバーグやミートボールなんかを食べていたのだ。これには当時、小学生だった自分は心底〝良いなぁ〟と羨ましかった(笑)
    自分だけではない、部落やその他の村の子供達は皆、町の子供達が食っているマルシンハンバーグやミートボールを羨ましがったのだ。

    大人になって成長するに従って、色々な物を食べていく過程で、あんなモノはちっとも美味くはない…肉は鶏・豚・牛なんかの、あまり良い部分ではないところを挽肉にして、ミックスして作ったハンバーグであり、ミートボールであって、実際には味の分かる大人が食えば、自分達が食べていたホンモノの塩引鮭やメザシ、ガンモドキの煮物や野菜の煮物、自家製の味噌で作った味噌汁、これも自家製の沢庵などの方が、はるかに美味くて身体に良いものである事が分かるのだが、子供の舌には湯煎で温めて食べるハンバーグが美味く感じたのだから仕方ない。
    沢庵は自家製だから、親達が作る過程を見ていたし、その工程を子供達は手伝わされもしていた。自分の家など庭に、沢庵を綺麗な黄色に着色する為だけに、クチナシの木が植えられていた。クチナシの木に実がなったら、摘み取って乾燥させてから、水につけて色素を抽出するのである。
    そんな40年以上も前の事を思い出しながら、今朝も沢庵を刻んで食卓に乗せた。
    塩鰆よりも焼いたソーセージよりも、沢庵が一番美味く感じた。

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